【書き起こし】ニコニコ生激論『民主主義2.1(夏)~代議制の拡張可能性について~』その2

書き起こした人

ニックネーム: kakio_kunさん

書き起こしテキスト

【書き起こし】ニコニコ生激論『民主主義2.1(夏)~代議制の拡張可能性について~』その2

カテゴリー: ニコニコ生放送

キーワード:

朝までニコニコ生激論「民主主義2.1(夏)~代議制の拡張可能性について~」の書き起こしその2です。

●動画はこちら
朝までニコニコ生激論 「民主主義 2.1 (夏)」 2/4

●目次
【書き起こし】ニコニコ生激論『民主主義2.1(夏)~代議制の拡張可能性について~』その1

聞き間違い、わからなかったところ等ありますがご容赦ください。

(その1の動画の最後の部分から)

東:
であともう一個、恐らくネットの使い方っていうのは、つまり数千人、万人単位の無意識を吸い上げる装置として、やっぱり非常に優れていると思っていて、それこそ例えばツイッター上でどういう言葉がつぶやかれてるか、どういう言葉に対して反応があるのかってことを分析して、データマイニングしていくだけで、恐らくかなりの人々の意思は吸い上げられる。
で、僕、このふたつを分けるっていうことが技術的に可能になったってことが、実は今、非常に重要な問題だと思うんですよね。今までつまり、人々の意思を聞くってのは、一個のやり方しかなかった訳です。ひとりひとり意思聞くしかなかった訳ですよ。
ところが今だと人々が、たえず意思とか自分の行動とか、それこそつぶやきをネット上に投げちゃっていて、このネット上に投げらている大量の無意識の蓄積みたいなものをどうするかってことを、僕たちは本当は考えないといけないんだけど、政治的な意思決定っていことを考える時に、必ずその、ひとりひとりがちゃんと考えて意見表明するってことを前提に僕たちは考えてしまうんで、そこがちょっとごっちゃになっちゃってるんじゃないかと思うんですね。
今の話でも、例えばデリバレーションっていうか、熟議って、恐らく鈴寛さんや吉田さんはご存知だと思いますが、アメリカの政治学者で確かアッカーマンだったかな? その、デリバレーション・デイ……

吉田:
フィッシュキンですね。(James S. Fishkin、スタンフォード大学教授)

東:
フィッシュキン。で、デリバレーション・デイ(Deliveration Day、熟議の日)みたいな発想をする人がいますよね。熟議の日を決めて、その日一日二日、国民の祝日にして、給料を払って熟議させて、で、例えばあれは、それに参加する人はすごい少ないだろうし、本当にそれが僕たちにとって、つまり皆が熟議することが必要なのかっていうと、僕はあんまりそうは思わないんですね。で、けれどもその、恐らくそういう場を提供する、そういう機会を提供する、で参加する人がそれですごい小く、小さいっていう事であれば、逆に良いんだろうと思うんです。だからその、熟議民主主義っていうものを、その、一つの理想形にしてしまうと、やっぱりその、国民皆がそれこそ、強制的に祝日をつくってまで考えなければいけないみたいな。あの、ちょっとまた、荒唐無稽なところに行ってしまう。

猪瀬:
でも裁判員ってのは、突然それを一日、一週間やれという、

吉田:
以前言及されていた、ルソーが理想とする民主制もそういう民主制ですよね。

東:
熟議のことですか?

吉田:
熟議じゃなくて。基本的には、皆アクティブに、その公共空間に、参加する、っていうのがルソーの民主制の基本的な……

東:
いや僕は、ルソーの考えは……

吉田:
彼はジュネーブを理想にした訳でしょう。

東:
そうです。そうなんですけど、僕はルソーの考え方は、今の技術的条件を前提にすると、違う風にも読めると思ってる訳ですね。

吉田:
うんうん。

東:
つまりルソーはやっぱり、つまり、ジョン・ロックとルソーの違いっていうのは、ロックの場合は結局、ある種すごく、これはもうすごい直感的にしゃべりますが、ロックの社会契約論っていうのはやっぱり、すごく意識的な契約なんですよ。

吉田:
そうですね。

東:
自分たちの所有権を守るために、皆で政府をつくる。
ところでルソーというのは、一般意思っていうものを持ち出してくる。あれってすごくやっかいなもので、大衆の無意識みたいなものに限りなく近いんですよね、あそこでルソーが一般意思って言葉で呼ぼうとしたものって。

猪瀬:
ファシズムみたいなもんだよね。

東:
そうです。だからあれをなんかこう……

猪瀬:
幸せなファシズムみたいな話だ。

東:
そうです、普通の形で解釈するとそうなっちゃうんだけど、あれを例えば大衆の無意識、人々の欲望の蓄積・履歴みたいなものだとして捉えた場合、いや「実は今ネットにある」とも言えないか、とも思うんですね。
だから一般意思っていうものを、意識的な一般意思と無意識的な一般意思というものに分けるというかな、熟議して決める事と、人々がつぶやいてしまっているネット上のデータみたいなものからどうやってそれに役立つ情報を引き出してくるかっていう、2つの事を分ける。

猪瀬:
東さんが言ってる意味はよくわかるけど、それはだから、鈴寛さんとやってるような話と、すごい集合的な無意識な世界が膨大に広がっていて、だけどそれは、ツイッターとか見てると見えてくるとこあるよね、それは。
だから「ああそうか」っていうところ出て来ますよ。そういう意味では、それを確かに、全体を見る場所っていうのがなかったことは確かで、色んな世論調査とか、そいういう形で見るだけだったんだよね。
それを、具体的な言葉で色んな形で出てくるのを見るような機会は確かに無かったから、だから一般意思と言いながら、無数の無意識の中にね、あるという何か、その全体のうねりみたいなものが見えてくるかどうかっていうことが、ひとつある所でしょう? それは。

東:
そうです。それとその……

猪瀬:
それともうひとつ意識的なやつ。

東:
そうです。だから、あの。

猪瀬:
それは、意識的なやつは、汗を流せってことだよね。

東:
そう、意識的な参加、意識的な熟議みたいなものが民主主義の、だから民主主義にはもともと、僕の考えではルソーの時から何かある種2つのモチーフっていうのが多分重なってて、ある種無意識の欲望をすくい上げるっていう政治と、意識的に参加して決めるっていう政治みたいなものが、なんかこう、グワグワっと混ざったままね……

鈴木寛:
ただね、なかなかやっぱりね、無意識と言語化っていうのをどいういう風に使い分けるかってことなんだけど、言語化してる人っていうのは、少ないんですよ。

東:
そうです、そうです。

鈴木寛:
うん、ある意味でね。で、やっぱりその、無意識からやっぱり気付く時ってのがある訳で、それはツイッター見ていて気が付く訳ですよね。
色んなこう、言語化が、正に熟議プロセスが自分の中にもハマって行くし、それから皆とやる中で、それがどんどんどんどん洗練されていって、またそれを見る中で、その新しい無意識が喚起されるみたいな、そいういうことがこう……(両手でかきまわすジェスチャーをする)

吉田:
熟議デモクラシーの一番目的としているのはですね、つまり、人々の選考っていうのは、討論とか討議によって変わるっていうことなんですね。

鈴木寛:
おっしゃる通りです、はい。

吉田:
それによって公共性みたいなものが立ちあがるんだという考え方ですね。
ところが、ルソーの言う一般意思っていうのは、それには前提があって、個別のその主権者は、必ず固定した意見を持っていないと一般意思っていうのは成り立たないっていう風に言ってる訳ですね。
で、そうでない部分は、これは一般意思からは外れるよ、みたいな形を言ってる訳ですよね。

東:
おっしゃる通りで、つまりでも、その二つは対立しないんじゃないかっていうことなんですよ。

吉田:
まあ組み合わせるべき……

東:
組み合わせるべきで、つまり僕たちはあらゆることについて熟議に参加するってことは出来ない訳ですよね。また、どのイシューにしても、全員の熟議を集める事は出来ない。
だから結局、基本的には、時々能動的な熟議の参加者として、ある個別の意思を、例えば自分が教育問題に対してすごい関心が合ったら、熟議カケアイにログインして、意見を言うっていうような形で熟議に参加するにしても、大抵の場所においては、それは単なる消費者であり、ほとんど無自覚な消費者としてつぶやいているだけである。
ただそのつぶやきみたいなものもネット上に大量にある訳で、じゃあそれをどういう風な形で、熟議とは違う論理で集めてくのかって事も、またこれからの政治は考えて行くべきだろうっていうようなことを、僕は思っている。

吉田:
熟議のですね、こう対象にあるのは、いわゆる集計民主主義っていう考え方なんですよ。

東:
はい。

吉田:
つまり、10人いて6人がそう考えているんだから、そういう風にしましょう。こう純粋に足して行くような民主主義ですよね。で、今の基本的に、デモクラシーっていうのはまあ、そういう部分が非常に大きい。
で、これに対して、それだとまあ失敗ちゃうとですね、こう失敗しちゃったり、あるいは多数派の専制みたいな状況が生じたりしてですね、必ず少数派が出来たり、あるいは政策的にうまく行かない場合がある。
で、これに対するある種のアンチテーゼが、熟議デモクラシーというもので、つまり一方が駄目だったらこういう考え方もあるね、それもダメだったらこういう考え方もあるけどねっていう、実際のこう民主主義っていう実は、政体が持っている強みをもっと活かそうという部分から出てきてるところがある訳ですよね。

東:
わかります。で、あの僕司会としてはしゃべり過ぎて、しかも、1時間で休憩も入らなければいけなくって、しかも津田さんも濱野君も一言もしゃべっていないので、ちょっと津田さんと濱野君に一回づつ振ってから、休憩に入らせてください。
という訳で、津田さんどうですか今まで議論を聴いていて。

津田:
いや逆に僕ね、何か東さんに今聞きたかったというか、こっから先に多分行く時に、その多分ひとつね、熟議デモクラシーと無意識の一般意思2.0っていう時に、まあ多分それの両者のミックスっていうのが今後多分考えなきゃいけない。多分まあ、いきなりどっちかに、方向に振るっていうのはたぶん無理だと思うんですよ。
で、その先に、何かその、無意識デモクラシーみたいなの、何か結構、僕すごい素朴に考えていて、確かに今ツイッターみたいなもので、色んな人の無意識みたいなものが政策的な話とかも出てきてるし、実際そいういうものもツイッター使ってる議員の人なんかも、プライベートにリストを作って、この人の意見は聴く価値があるなと、自分に対して理解があるなとか、あの理解がないとかっていうのは、聴く価値があるなと思った人を自分で判断して、リストを作って、それを、その人たちの意見を、ある種ミニ世論調査みたいに使って、やられてる議員の方とかも出てきているっていう時に、ただその時に、結構色んな無意識って言っても相当レベルの差があるなっていうのも僕は思っていて、例えば、ヤフーニュースのコメントとかって結構酷いじゃないですか。
あとは、ミクシィニュースに付く、その色んなレベルのコメントの差とか、あとは、逆にそのニコ生の今日のね、コメントにしたって、ものすごいその単純に、もうバカみたいなコメントもあれば、ものすごい深いコメントもあったりみたいになった時に、データマイニングとして、じゃあツイッターだけで良いのか、それ以外の所にもデータマイニングも含めて、どう何かその辺をやっていくのかな、まとめていくのかなっていうのが一個気になるっていう所と。
でもその話をしていくと、やっぱり当然メディアとの関係ですよね。既存メディアから、ツイッター自体がメディアみたいな力になった時に、その所っていうのはすごい何か逆に、こんがらがって来てるなっていうのがあって、東さんの考えてるその理想の形は、どっちの方向なのかなって。

東:
いや今の話で言えば、今まさにこういう議論が急に盛り上がってるのは、例えばツイッターがすごく普及したからだ、みたいな事はすごく大事で、やっぱりそこでは恐らく、正にこれで濱野君に振ろうと思うんだけれど、アーキテクチャの問題なんだと思うんですね。
つまり、それぞれにある種その、まあ、こういう言い方をすると変、まあ、あのその、的確さを誰が判断するんだっていう事になるのかも知れないけれど、無意識をある種、上手く的確に反映してくれるような、そのアーキテクチャー、例えばツイッターっていうアーキテクチャーがあると、人はすごく無意識を外側に出しやすくなるとか、政治的な話題でも結構無防備にしゃべりたくなる、例えばブログで政治的な話題をしようとすると、これ非常にハードル高いわけですね。論を立たてなきゃいけないし、何か色々調べなきゃいけない。
でもツイッターだったら、ポッポッと、その場の直感的な反応みたいなものをいれてそれがその人の立場をある種正確に表していたりする。で、そういう例えばそれを140字にするというだけで、政治的無意識というヤツが格段に現れやすくなると僕は思うし、そういうアーキテクチャの問題だと思うんですけども、で、それで濱野くんにそのあとCMに行きたいんですけども。

濱野:
いや、まさにそのアーキテクチャの問題を言おうとしていたところを東さんに全部言われてしまった感があるんですが、でも熟議カケアイのサイト復活したのかな? いま見て、まだ復活していないですね、落ちちゃっているのであんまり見れていないんですけども、面白いのが、結構古いある種のフォーラム型のアーキテクチャが採用されていて、結構、比較的アメリカのほうでは一般的なツリー型の羅列で、各トピックでちゃんと議論が積み重なっていくようなタイプのものが採用されていて。
実は日本ではほとんどフォーラム型のタイプというのはあんまり大規模な掲示板では普及しなかった。すごい簡単に言っちゃえば2ちゃんねるがこのタイプではなくて、スレッドフロート型で1000までいったらダーッと流れていくというタイプを採用しているので、普通に見たらオールドなものに見えちゃうんだけど、場合場合で使い分けていく知恵というのがこれから重ねていく必要があるのではないかという気がしたんですね。
だからちょっと前までは、インターネットというのはどっちかというと熟議に使おうとする人が10年前までは多かったので、フォーラム型のほうがいいとむしろ思われていたんだけど、むしろ最近、ここ1~2年で面白いのは、まさにツイッターのような、いま東さんがおっしゃったような無意識にポンポンと勝手に140字でつぶやけちゃうよみたいな仕組み出てきたところで、そういうタイプのところで抽出できてくるというのが見えてきたというのは非常に面白い展開だと思うので、そういうブームも、今日その辺どれくらい議論できるかわかりませんが……

津田:
熟議カケアイって、1ヶ月くらいやって、はじめられてそこの中で色んな人が利害関係者が出てきて、その中で出てきた議論の中から、この方向で可能性あるんじゃないかとか、逆に文部科学省としてどこまでそれを本当にアジェンダとか審議会まで組み込んでいって、どれくらい決定にどれだけ影響するのかというのは、どのあたりまで考えていらっしゃるんですか?

鈴木寛:
これは少なくとも僕が居る限りは、要するに僕は黒ペン赤ペン論というのをずっと言っているんですけども、今まで役人が黒ペンを持っていたんですよ、そこに審議会の委員だとか政治家だとかが赤ペンで直す、ちょこっと直すんですけども、結局赤ペンで直せるのってせいぜい2割とか3割ですよ、よっぽど直して。
ほとんどは、実質直せるのは2~3%レベルの話なので……

津田:
役人が方向を決めて。

鈴木寛:
黒ペンを握ってたと。要するに白い原稿用紙に黒ペンで書くのは役人。

堀江:
役人って議論してたんですか? その前に。

鈴木寛:
役人は役人の中では議論していたけどもほとんど自分の思い込みと、メンツ。

堀江:
役人の間では一応議論はしていたんだ?

鈴木寛:
役人の間でとはいうけれども、その分野について担当している役人というのは、その課長と課長補佐と係長だから……

堀江:
だからほとんど議論していないわけですよね。要はね。

鈴木寛:
3人くらいでね。

猪瀬:
業界団体の。

鈴木寛:
それは吸い上げている、

堀江:
意見を吸いとって、なんか少数のをちょこっと見せた。

東:
大変議論が盛り上がってるところ……

鈴木寛:
最後だけ。まずその黒ペンをまず政治家が握ると、その黒ペンを政治家プラス仲間たちというかブレーンたちで握ったんだけれども、今度やりたいことはその黒ペンを熟議カケアイに渡したい、ということなんです。
それを受けて赤ペンはその中教審の専門家だとか、中教審から出てきたものを法律にするとか国会で調整するとかは、役人だとか。その赤ペン黒ペンを逆転させたい。

東:
恐らくみなさん疑問に思っているのは、本当に黒ペンをネット側に委譲できるのかみたいな話だということだと……。

堀江:
それすごいわかった。なんとなく、すごい難しいことばかりみんな言っているじゃないですか? なんか訳わかんなくなってきたんですよ。だけど、最後わかった。
要はそこに参加していたのは、今までは文部科学省の本当のごく少数の役人で、一応お前らの言うこと聞いてやるけども、考えるのは俺たちだからというプロセスの中に、有識者の人とか色んな人たちがワーッと入ってきて、そこで熟議カケアイをやったりとか、そこで直接その意見が黒ペンになっていくみたいなプロセスが出来たってことですよね。

東:
だから、それをオープンソースみたいな感じで政策作るということなんですよ。

堀江:
そんなことが本当に出来るのか。

東:
ということについて休憩の後に(笑)

————–
10分休憩
————–

東:
休憩が終わりました。さっきの話の続きをするのかと思いきや、休み時間の間に盛り上がってむしろ日本人は国語教育をなんとかしたほうがいいんじゃないか、という急速にこう話に移り変わっているのですが、これはこれでずっと白熱している話なので、そのことについてまず猪瀬さんから。

猪瀬:
鈴寛さんが文部副大臣だからちょうど共通する話だから、やはりということころを言語教育をやる必要がある。言語教育というのは母国語の日本語の技術ですよね。
外国では当然やっているわけで、それでやっぱり当たり前のことだけども、何か言うときに何故ならばという根拠を言う、そういう癖をつけるというかね、それやらないと、私こう思うわ、というだけではなく、何故ならばということをちょっとつけるということですよ。
さっきホリエモンがちらっと休憩時間にそんな難しい話なのって、そんな難しくない話で、やっぱり何故ならば、ということを言わないとわからないんですよ。根拠を言わないと、根拠というのをも少し言うと、簡単に言えば、数字であったり証拠であったり、そういうものをちょっと言うことですよね。

堀江:
それって、教育されてないんですか?

猪瀬:
されてない。よその国ではやっている。

堀江:
よその国でやっていて、日本ではやっていないというのは……。

東:
いいですか? あの、僕も言っていいですか?
この国語教育の問題というのは、僕もずっと思っていて、日本では、例えば僕、三島由紀夫賞を取ったじゃない? そしたらみんなお祝いしてくれるわけですよ。それは小説の賞だからですよね。だから日本においては小説とか文学とか地位が高すぎるんですよ。はっきりと。

堀江:
ほうほう。

東:
だから気持ちを伝える言葉とか、真実の言葉ってものにすごく高い価値を置いていて、国語教育にもそれがはっきり現れているわけですね。でも僕の考えでは、言葉ってのは完全に道具で、詐欺にも使えるし、詭弁も弄することが出来るんですよ、だから極端な話、僕は本当は中学生とか高校生で詭弁をどう弄するか、ある意味で自分がぜんぜん信じていない主張でも、この前提でこの結論を導きなさい、といわれたら出来るようにならないといけないんですよ。そういう能力がないと、逆に詭弁も見抜けないんですよね。
ところが日本の国語教育では作者は本当は何を考えていたのでしょうとか、これであなたは何を感じたのでしょうとか、ということばかりやっていて、技術としての言葉という考え方があんまりないんです。それは確か。

堀江:
なんで突然そんなことを皆さん思いつくんですか?

(笑い)

堀江:
僕なんか、ハイ? といわれたのが、なんでそんなところに問題意識をもたれたのかな、と。

東:
だから、熟議民主主義の話をしていて、

猪瀬:
言葉の基礎体力みたいなものがないと、やっぱりね、鈴木寛さんが1000人くらいのところでやるところではまずは言葉の基礎体力が必要だと思う……。

堀江:
確かに僕、ツイッターのフォロワーの人とかから、僕は140文字で書くから、それをわからない人たちって結構多くて、何言ってんだコイツみたいな反論がいっぱい来るんですよ。

東:
140字だと、もともと前提として無理だと思うんですけど、

堀江:
いやいや、じゃなくて、

猪瀬:
でもね、まずね命題ってのがあるでしょ、例えばホリエモンがこうつぶやいたと、それがまず何だろうな? と、知ろうとするのが先なのに、オレこう思う、と先に言っちゃうヤツがいるわけで、言う前にホリエモンは何を言おうとしたのかな、という……。

堀江:
それは国語教育の問題なんですか? それは。

猪瀬:
それは命題って言うわけだよね。それはね、「マンガもよいけれどもマンガだけじゃダメだよね」と言ったら、「マンガはいけないんだ」とワーッと来るわけで、「マンガもよいけれど」と言っているのに、「マンガだけじゃダメだよね」というだけで、命題を聞いていないから、「マンガ駄目」「なんでいけないんだアイツは」とこうなるわけだよね。

堀江:
私は、単にアホだからそういう風に思っているんだ、と思っていたわけですよ。

東:
だから、そうじゃなくて、基本的に技術というのはアホでも底上げするということなんですよ。

堀江:
わかりました。だから、僕はこれまで……

東:
だから、地アタマの良い人は教育いらないのかもしれないんだけれども、それは全てのことに関して言えることで、

堀江:
わかりました。底上げ、それはわかりました。だから、それは僕はアホだから何言ったってダメだと思っていたんですけれども、それは国語教育をしたら少なくとも技術的には良くなるということですね。

東:
技術的には良くなると思います。こういう文章に対して、こういうような答え方はおかしいみたいなことはあるわけで、どうもそこらへんがズボっと抜けているなというのが、

猪瀬:
われわれの頃はNHKで「ハーバード白熱教室」というのがやっていて、これ結構再放送しているよね。

堀江:
僕見たこと無いけど。

猪瀬:
見ておいたほうがいいと思うけど、

堀江:
テレビ観る時間見る無いんですよ。

猪瀬:
いやいや、何かやりながらでもいいから。

堀江:
YouTube見る時間もないんですよ。動画時間かかるので見たくないんですよ。

猪瀬:
そんなにいっぱい見なくてもいいんだよ。ちょっと「あ、そっか」というくらいで。
要するに、それはハーバード大学だから偉いんだとか言うヤツがいるけど、そうじゃないだよね。あれが普通の学校でああいうことやっているんですよ。

堀江:
なるほど、なるほど。だからつまりそこは技術がないから、要はそういうことが出来てないだと、アホでもそれは技術を学ばせればそれなりに出来るようになる、ということなんですかね?

猪瀬:
スポーツと一緒だから、技術、サッカーだって、

堀江:
そういうことです。

猪瀬:
やり方が違うとダメなんで、いきなりゲームやったって……

鈴木寛:
国語教育というのが、どういう技術をどういう風に習得させようかというコンセプトがあいまいで、実はですね、京都市で読解科というのを始めているんです。まさに問題意識は皆さんと同じで、そういうのを皆でもっと良いメソッドと……

東:
僕は基本的に評論家じゃないですか? 評文みたいなものをいっぱい書いてきましたけども、ずっと思っているのが、評というのはかなり特定のやり方があってですね、これは結局書かせるという訓練が必要なんですよ。読解という訓練じゃダメなんですよね。日本の国語教育には読んで理解するということにすごく重きを置いてて、理解した気になっても、アウトプットできるかどうかはまた別じゃないですか。僕はエッセイを書かせてもしょうがなくて、評論を書かせるという事を本当は国語教育で、中高生時代にやると基礎体力上がると思うんですね。

東:
僕は、基本的に評論家じゃないですか。で、評論文みたいなものをいっぱい書いてきましたけど、やっぱり、ずっと思っているのは、批評っていうのは、書き方って特定のやり方があって、結局これって書かせるっていう訓練が必要なんですよ。読解の訓練じゃダメなんですよね。日本の国語教育って、読んで理解するってことにすごく重きをおいていて、理解した気になってもアウトプットできるかどうかはまた別じゃないですか。だからやっぱり特にエッセーなんかを書かせてもしょうがなくて、評論を書かせるっていうことを、本当は国語教育で中高時代にやると結構基礎体力が上がると思うんです。

吉田:
僕、義務教育をヨーロッパで受けたんですけど。いわゆる国語の授業で何を最初にやるかというと日本だと、まあ、「誰か偉い先生の文を読んで感想文を書きなさい」ですけど、外国で僕が受けた教育は、「自分で作ってみよう」と。つまり、それを読んで、自分なりに構造とか考えて、自分で一つストーリーを作ってみなさいというのが、宿題だったりするんですよね。それがまた、想像力にもつながっていく。

堀江:
それって、じゃあ、なんでいままで日本でやられてなかったんですか。

東:
おそらく日本においては……

猪瀬:
それは、他者がいないというか同調性が高くて以心伝心で通じちゃうことが多かったので。ところが今は、ホリエモンのような人もいれば、そうじゃない人もいたりとか、違う人がいっぱい出てきているときには……

堀江:
なんで違う人がいっぱい出てきたんですか。

猪瀬:
それは、ライフスタイルが変わって、それからグローバル化になって、それで好みも多様になって。例えば、「三丁目の夕日」の世界でよかったわけよ、みんな。それが、だんだんだんだん、経済が拡大し、仕事も増え、仕事の種類が増え、同じことをやってるわけじゃなくなってきたから、そうすると、以心伝心で伝わらなくなってきたわけね。

??:
経済的に豊かになった大きいんじゃないですか?

堀江:
じゃ、でも、それでも欧米は昔からいろんな人たちがいて、いろんな考えの人たちがいて……

猪瀬:
異民族がしょっちゅう入ってきてるから、やっぱり説明が。僕はやっぱり絵文字もおかしいと思ってるの、インターネットとかのね。
同じ顔、怒ってるときにこうやって、悲しいときはこうやってって打つというのは、日本だけの記号ですから。あれは……

堀江:
いや、それは別にいいんじゃないですか。

吉田:
外国にも、絵文字、顔文字ってありますから。

猪瀬:
……言葉を工夫すれば、それはいらなくなるんですよね。だから、そういうことで、言葉を探せばすむことなのに……

堀江:
いや、それはたぶん関係ないと思う。

猪瀬:
いや、関係なくないんだよ。

吉田:
言語能力とか、技術がなければ……

猪瀬:
言葉を探せばいいんだから。

堀江:
探しても探さなくても、関係ないと思いますよ。

猪瀬:
それは、異民族ではわからないんだよ。お互いに異民族同士がいっぱい混ざり合っている世界では。例えば、小説の描写だって、目の色とか髪の色とか、全部か書かないと分からないわけで……

堀江:
分かるんじゃないですか。ニコ文字、分かるでしょ?

東:
この話が盛り上がるのはそれで楽しいんですが、そうじゃなくてですね、ちゃんと元の本題に戻したいんですけど……。

堀江:
いや、要するにそういう意見が出てこなかったのは、やっとそういう風にいろんな意見の人たちが出てきて、その必要性をやっとみんな分かってきたってことなんですね。

猪瀬:
まさにこういう時代で、いろんな人がいろんな意見を言える場ができたときに……

堀江:
なるほど、なるほど。

猪瀬:
基礎体力があった方が、ゲームは楽しいよね、と。

東:
だから、熟議民主主義を実現して、政策とかもプロフェッショナルが密室で作るんではなくて外側に開くと。その前提となるのが、かなり高い国語能力だろう、と。まあ、これは結構当たり前な話なんですよ。

堀江:
なるほど。

東:
で、そのときに……

猪瀬:
国語能力というインフラだよね。

東:
で、そのときに自分の主張だけ言っていてもダメで、自分の主張を通すための、はっきり言ってウソ、ウソって言っちゃいけないんだけど、まあ、ある種の方便ですよね。ある種のロジックを作る。

??:
対話する力というか、議論する力だよね

東:
つまり、「自分がこうしたいんだ」っていうだけじゃなくて、自分がこうしたいんだと望んでいることはある種のパブリックな意味を持っているんだ、というロジックを作ってくれないと、議論になんないわけですよ。

堀江:
まあ、分かりました、それは分かりました。

猪瀬:
伝える技術が必要だと

東:
だから、まあそれで熟議民主主義の国語教育が大事だ、みたいなことにもなったということなんですが。さて、まあ、これで休憩時間の盛り上がりはいったん……

鈴木寛:
だから、これと同時にコミュニケーション教育っていうのは、やろう、ということ。

東:
そして、というわけで、予定のスケジュールを消化していきたいわけですが。
ここまでの議論、討論を踏まえて、ユーザーからの意見を聞く、ということになっております。まさにこれはインターネット社会の新しい討議民主主義といったところなんですが。
というわけでユーザーの国語能力も試される展開になってるんですけど。

(笑い)

東:
ニコニコ電話いきます。

津田:
ハードルがあがりましたね。

東:
さあ、どんな国語能力を見せてくれるのか。

津田:
自己紹介から、面白いユニークなね自己紹介が必要に……

津田:
オレ、これ前にやった。これ、ランダムにつながるから、いきなり……

堀江:
ほんとにつながるんだ、これ。

津田:
ランダムなんですよ、これ。

堀江:
電話番号とか入れとくの?

津田:
いや、スカイプっぽい感じの……

堀江:
スカイプっぽい感じの……

津田:
ニコ生モバイルアプリっていうのがあって……

堀江:
そんなのがあるんだ。でもこれ、携帯電話をお持ちの方って……

東:
ランダムっていうのもすごいよね。だって、普通に見てたら急に電話がかかってくるんでしょ?

津田:
ランダムになるから、みんな心の準備がないから、しゃべれないんですよ、だいたい。

東:
ずいぶん、時間かかる……

猪瀬:
いろいろ言ったからしゃべりにくくなっちゃったかな。

堀江:
全然大丈夫ですよ。

??:
みんなあわてて切ってたり……

??:
猪瀬さんに怒られるーとか。

猪瀬:
怒ってないよ。

東:
おっ、来た。みゃおさん。

津田:
みゃおさんが選ばれました。で、ここでいきなり「えっ、選ばれちゃったよ」っていって、心の準備を始めて、言語能力どうしようって……

??:
どれくらい来てるんだろう、応募って。

津田:
つながらなかったりすることもありますよこれ。

(電話のコール音)

東:
おっ、来た。

??:
来た、来た。

津田:
そして、120秒だけなんでパパッとつめて……

東:
みゃおさん、こんにちは。

みゃお:
こんにちは。

東:
どうですか、今までの議論を聞いていて。

みゃお:
話がいろいろ飛びすぎて、なかなかついていくのが大変だったな、と。

東:
みゃおさんとしては、今日はどういう話をしてもらいたいとか、どういう関心でこの番組をご覧になってますか。

みゃお:
前回のベーシックインカムの話などを聞いていて、すごく斬新だなというのがあって。始めの方に説明されてた、そういうことがどういう風な流れでそういう風な話が出てきたのかなっていうか、アイデアというか。そういうのにすごく関心があったんですね。

東:
最初の方の説明というのは鈴木健さんのインターネット民主党の話ですかね。Demoexとか。

みゃお:
そうです。

東:
で、そこらへんをもう少し掘り下げて聞いてみたいという感じですか。

みゃお:
そうですね。もともとヨーロッパの方でそういうインターネット民主党ができたという
過程、ですよね。アイデアというのか。どういうところから沸いてきたのかなというのが。あと、ベーシックインカムにしても、そういうアイデアが、何もないところからわき上がってくる過程というか、そういうのにすごく興味がある。

東:
じゃあ、ベーシックインカムとか、インターネット民主党のアイデアの歴史とかについて知りたいみたいな、感じですか。

みゃお:
まあ、そういうのはすごく興味がありますね。

(笑い)

東:
残り10秒ですね。じゃあ、みなさんに言いたいことがあれば。

みゃお:
もっと白熱した意見を聞きたいです。

(笑い)

東:
白熱だけはしてたと思いますけど。

猪瀬:
だから、やっぱり、まさに言語力なんですよ。だからね……

??:
ひどい……

猪瀬:
いやいや、そうじゃなくて。本当にね、いや、彼は一生懸命で、偉いとは思うんだよ、オレはただ、そういうときにどういう風にしたらいいかってことをしょっちゅうやってれば、「ああ、こういうときこう言えばいいんだ」って……

津田:
でも、言語力なのか瞬発力なのかって話に……

堀江:
だから、足腰、なんでしょ?

猪瀬:
足腰。だから、サッカーとかと同じで、普段鍛えてないとできないわけ。

津田:
しゃべるのと書くのっていうところで言うと、じゃあ、いっぱい自分で書いたりとかして、東さんがさっきおっしゃったように批評みたいなものを書いていくと、しゃべること、瞬発的にしゃべることも鍛えられるってことなんですか?

堀江:
書くだけだと無理なんじゃない?

猪瀬:
書くだけじゃない。まず読めよ。まず読んで、それから書くってことであって。始めは人の技術まねしなきゃダメじゃない。うまいサッカーの選手のまねしないとダメなわけであって、始めから自分がサッカーできると思ったら大間違いで。

東:
でも僕は、書くためにしゃべるということを、日本人はもっとやるべきだと思ってて。それは何でかというと、例えば、海外の講演というのは、書き原稿をそのまま読み上げて、それがそのまま印刷されたりしますよね。で、日本はほとんどそういう習慣がなくて。日本でそれをやるとむしろ、すごく空疎に聞こえて。日本の講演というのは、基本的には聴衆との対話みたいになっちゃうんですよ。これは言語文化の違いだからしょうがないんだけれども、論理的にしゃべるというのはその場の瞬発力だけではなくて、ある種、話の内容全体の空間的な構成みたいなものを作らなければいけないから、そのためには「書く」ってことは、すごく重要なことだと思います。

堀江:
だけど、書くだけじゃダメだってことですよね。

鈴木寛:
だから、読んで、書いて、しゃべる、と。

東:
読んで、書いて、しゃべる。

猪瀬:
あえて言えば、やっぱり200ページ300ページのものを読まないと。それは、長い物語というのは頭に一回入れないとですね……

吉田:
ちょっと問題提起したいんですけども。熟議民主主義論のことで、一つの弱点なんですけども。ロゴス(言葉によって表される人間の理性的活動)とパトス(感情・感動・情熱など)みたいな話で、ロゴスを持っている人しか参加資格はないんですか、ということになるわけですよ。これは、僕のゼミにいる学生さん、社会人なんですが、障害児を専門としている人で、大学院に学びに来ている人なんですけど、熟議民主主義の話をしていたら「じゃあ、私の患者たちはどういう風に参加したらいいんですか」と言った。つまり、サバルタン(下層民とか従属民とかいう意味)なんていったりするんですけど。あるいは、ハーバーマス(ドイツの社会学者・哲学者)が公共性を論じる中で、「誰が参加資格があるのか」と。彼は最初は女性を入れてなくて、あわてて第2版で入れるようになったとか、そういう話はあるんですが。つまり、「言語能力がある人じゃないと民主主義の中で主権者になれないんですか」という問題が出てくるんですよね。

堀江:
それは、熟議に参加できないだけなんじゃないの。

吉田:
でも、民主主義の中で、意志決定プロセスに、熟議というものの位置が非常に重要だという風になった場合、じゃあ、言語能力とか、先ほど言った瞬発力とかがない人は、どういう風にすれば自分の意志を……

猪瀬:
言語技術は、別にあれですよ、小学生だって言語技術は必要なんで。大学生だっていうことで言っているわけじゃないから、今の話は当てはまらないんじゃないですか。

吉田:
いや、誰が共同体の一員として認められる資格があるのかという……

鈴木寛:
実はですね、熟議をやる前に僕は9年間コミュニティスクール(学校運営協議会制度)をやっていました。まさにこれはリアルの、そしてそれぞれの固有名詞を持った、例えば、三鷹第4小学校とかね、足立区五反野小学校とか、そういうところの当事者がちゃんと集まって熟議をやるということをやってきたんですが。
そこでは別に言語能力があろうがなかろうが、その関係者であれば入れるわけですよ。だけど、そこを見ていると、そこに入って熟議を始めるとですね、言語能力を学ぼうという意欲が、一挙に増えてきます。そうして学ぶ、そうすると言いたいことが極めてクリアに言える、そして議論がかみ合う、そうすると学校はよくなるわけです。
という好循環に入る中で。日本人というのは、そもそもの潜在能力がわりと高くて、そこはやっぱり義務教育はある程度やってるなということは……

猪瀬:
識字力が高いんだよね。

鈴木寛:
そう。それで、そこにはまれば、相当な学習で能力が上がる。で、学習しようとすれば環境はいっぱいあるから。まあ、それこそ、本を読み出すとか、という話でいいんですよ。

吉田:
現実的な話、もちろんプロセスとして、工夫としていろんな形で改善はできるんだと思うんですけど。原理原則論からして、つまり、民主主義というのはいろんな人が集まってきてその上で作動するシステムなわけですよね。そのときに、民主主義の前提、あるいは直接民主主義の前提というのは、みんなが平等であるということ。ところが……

猪瀬:
だから、みんなが言語能力を身につけていれば平等になれるんだよ。そこが大事なんだよ。

東:
でもね、僕は吉田さんの議論はすごくよくわかるけど、ただそれはほとんどなんか、リベラリズムとか直接民主主義が持っている構造的弱点みたいなもので、その構造的弱点を埋めることはもうできないんですよね。
で、逆にそのことをどこまで……どこまでを熟議の参加者にするかということ。拡張するっといっても、例えば、生まれたばっかりの幼児から熟議民主主義に参加させるわけには行かないわけで。例えば、障害者の方々とかに対して全面的に配慮するにしても、例えば、年齢的には線を引かなければいけないし、もしくは……

堀江:
まあ、ベストエフォート(最善を尽くす)でやりゃいいんでしょ。

東:
そう。そうとしかいいようがないはずですよ。

鈴木寛:
かつ、代弁者を、そこは置く、と。

吉田:
僕はそんなことはないと思う。つまり、直接民主主義の基本的な哲学っていうのは、「なになにへの自由」なんですよ。つまり、何かを実現するためにみんながまとまって、意見をなるべく吸い上げてやりましょうという話なんですね。
一方で、ダール(米国の政治学者)っていう民主主義の専門家が言ってるんですけど、それはポピュリズム・デモクラシーという風に一応分類できるんですね。「なになにへの自由を求める」デモクラシーというのは、ポピュリズム・デモクラシー。
一方で民主主義の累計としてはですね、立憲主義的なリベラリズム、リベラデモクラシーの系譜があるわけですね。これは何かと言うと、そうした能力であるとかポテンシャルであるとか、あるいは不平等を構造的に抱えざるを得ないようなマイノリティーをきちっと保護しましょう、というような形のデモクラシー。
で、これは根本的に違うものなんですね、どっちがいいとかという話ではなくて。でも、それをある種、ベストミックスでやっているのが今の自由民主主義という基本的な政治体制だと思うんですよ。で、そこに、直接民主制というものを注入した場合、結果的にどうなるのか、ということに我々は敏感である必要があるというのが、一方であると思うんです。

鈴木寛:
ちょっといいですか。そこはね、まず多数決主義というものと、立憲主義を分けて考えなくてはいけない。立憲主義と熟議の話は別で、やっぱりまず、多数決主義の行き過ぎというもの、あるいはそれを補完するために熟議を使うということですよ。
で、立憲主義は立憲主義として貫徹していないと、それは当然すべての人の人権があってということはそれは。だから、熟議の範囲というところは、多数決民主主義とか議会制民主主義とかの、補完的なものだけど。議会制民主主義あるいは代表制民主主義での補完のところで止めておかないと。

吉田:
ということでこの場がまとまるのなら、それは別にそれで。

堀江:
コメントとか見てると、みんな、「難しすぎて分かんない」とかよく出てくるんだけど、僕もちょっと分かんないですけど……

濱野:
でも、また難しい話になっちゃうかもしれませんけど、今の話は別のつなげ方もできると思っていて。休憩の前にまさに無意識を抽出する民主主義のあり方も可能だという話もありましたよね。で、あっちの方はまさに言語能力がない人だって参加できるわけで、あっちの方でむしろリベラルの枠を広げるという道も、実は可能になってきていると思うんですよ。まだこれはかなり空想的な話で、まだ実現してないですけど。そういう……

東:
いや、僕は空想的だとは思わないよ。なんでかっていうと、例えばツイッター上で無意識を拾うっていった場合、ツイッターでつぶやいている人っていうのは、その人が障害者なのかそれとも10歳の子供なのかってことは、全部分かんないですからね。
だから、ある意味で、その人の資格、それも140字くらいだとそんなに言語能力が高くなくてもつぶやけてしまうみたいな。そういう形でのある種の平等というのも、考えられる。
つまり、今までのリベラリズムが考えている平等というのは、近代的主体みたいなものをモデルとして、そういう近代的主体にどれほど人々を近づけるかってことで拡大しようとしているから、すごく無理があるわけですよ。
そうじゃなくて、今、情報技術なんかが出てきて、新しく出てきている可能性は、もっと主体以前のね……

吉田:
それだったら、さっき猪瀬さんが言ったことと全然違うじゃないですか。

東:
熟議と国語教育の話とは違うように見えるってこと?

吉田:
そう。

東:
それはそうじゃなくて、その二つはバラバラに動けばいいんじゃないですか。

猪瀬:
言語は最終的には意識ですからね。だから、無意識のツイッターの世界といっても、言語で表現する限りは意識ですから、やっぱりそこは、例えば、一言根拠を言うというのは単なる言語技術ですからね。それは、女子高校生が「おばさんダサい」と言ったら、それはそこで勝負が決まっちゃうけど、「なぜならば」と一言、「どうしてかな」という理由をちょっと言えばね、そうすれば「ああ、そうか」って分かるわけだから。それをつなげる言葉が、それが言語の……

東:
「おばさんダサいな、なぜならば」とつなげる、という……

猪瀬:
つまり、直感ではあってるわけだよね。だけど、「じゃあ、なんで」「なぜならば」ということをちょっと考えてみるのは、言語でしょ。そこで付け加えるのは。そこまであるっていうのは、底上げできるんじゃないの?

東:
吉田さんがどうしてそこに引っかかっているのかが、僕もちょっと分からなくて。

鈴木健:
吉田さんは、要するに熟議民主主義か、もしくは無意識の民主主義か、どっちかを選べっていう選択を迫ってますよね? で、東さんはどっちも共存して補完すればいいだろうって言っているわけですよね。なんで、どっちかっていうことを迫っているわけですよ。

吉田:
それは、言ってみればデモクラシーのある種、歴史って、その二つの闘いだったんですよ。無意識と直接っていう風には、別に僕は対立する話には……

堀江:
ちょっと待って、よく分かんない

吉田:
つまり、民主主義って……

東:
いや、僕はこれは吉田さんの解釈だと思います。だから、ちょっと面白い話に……

吉田:
違いますよ。これはどの教科書にも書いてあることで。民主主義には2種類の系譜があるんですよ。一つは、ギリシャ的な民主主義。直接民主制ですね。で、そこではみんなアクティブなシティズン(市民)で、みんなが意見を持っている。

堀江:
ギリシャってそうなんですか?

吉田:
古代ギリシャ。古代。

堀江:
古代ギリシャってみんなアクティブなんですか?

吉田:
基本的にはそう。

??:
奴隷以外。

堀江:
ああ、奴隷がいるからか。

吉田:
奴隷と女性以外はみんな参加資格があったわけです。一方で、ローマ共和制のモデルというのがあったんですが、そこでは、当時、民主化が進むと、民主主義の意思決定過程に参加する人がどんどん増えてくると、これは衆愚政治に陥るんだ、という考え方なわけですよ。つまり、悪貨が良貨を駆逐するという形で、どんどん……

堀江:
それでも。いいですか? 僕、ごめんなさいね。あの、歴史とか政治学の歴史とか知らないんで、知らない人もいると思うんで、聞きたいんですけど。じゃあ、なんでそういう風になっちゃったんですか。ギリシャは市民のアクティブは人たちだけでわーっとやってたのに、なんでデモクラシーになっちゃったんですか。

吉田:
いろんな理由があるんですけど、一つ、今すぐここで申し上げられる答えは、規模の問題ですね。ギリシャの都市って基本的に数万人だったわけですね。ローマは共和国だけにしてももっと大きな規模だったので、そういう問題もある。で、民主化ってものがどんどん進んでくるわけですね。もともとは貴族だけしか参加する権利はなかった……

堀江:
なんで進んできたんですか、それ。

吉田:
それは、どんどん「オレたちに投票権よこせ」「オレたちに主権よこせ」って、労働運動みたいに……

猪瀬:
そういう話は、もうみんな分かってるんじゃないか?

堀江:
分かってないですよ。僕も分かってないですもん。

猪瀬:
そうじゃなくて、それが発達してきたって話をしているだけだから。

堀江:
いやいや、だから、なんで発達してきたかって。そういうところに問題があるような気がするんですけど。

東:
ちょっと、ユーザーのためにも、もう一回吉田さんが考えているデモクラシーの二つというものをシンプルに言うと……

堀江:
ほら知らないって言ってますよ。(コメントを見ながら)

東:
それはつまり、ギリシャから始まった直接民主制、みんながアクティブなものと、ローマから始まったあまりアクティブではない大衆を相手にしたもの……

堀江:
だって、吉田さんは熟議のプロセスに入れない人たちがいるから、それをなんとかしなくちゃいけないとか、言ってたじゃないですか。それ、なんで、なんとかしなきゃいけないのか。

吉田:
それはさっき、鈴健さんの問題提起……

東:
だから、今僕が整理したことで言うとね。つまり、ギリシャ風の直接民主制っていうのは基本的にエリート民主主義なわけですよ。

堀江:
はいはいはい。

東:
で、ローマ風のやつは、衆愚の大衆相手にしているから、また別のやり方があると。そのときに、吉田さんの考えでは、直接民主制というのは結局エリートだけが参加できる、すごい少数のところでしかうまくいかなくなるわけだから、今の社会でやった場合、結局そこで参加資格ってものが生まれてよくないんじゃないの、ってことを、おそらくおっしゃろうとしている。でしょ?

吉田:
すごく簡単に言うと、「果たして、政治家というのは有権者のいいなりになるべきか、なるべきではないか」っていう古典的な問題です。

東:
今のだと、なるべきなのはどっちなんですか?

吉田:
それは直接民主制の考え方。

東:
なるべきなのは、直接民主制。

吉田:
まあ、そっちの類型に分類される。で、一方で、例えば……

東:
でも、一方で今、現実に起きていることは、政治家が有権者のいいなりにならない、と。つまり、1回当選しちゃったらあとは政治家が「まあまあ、オレに任せておけ」とかってやってるんで、政治不信が普通に進んで、こうなったという状況もあるわけですよね。

吉田:
大衆が選ぶことがいつも正しいのか、という古典的な……

東:
じゃあ、吉田さんは大衆が選ぶことが、そもそも危険だから、あの……

吉田:
だから、それが立憲主義の歴史なんじゃ……

東:
まあ、そうなんですけど。

吉田:
アメリカの憲法がなんでああいう構造になっているかというと、それが根底にあるからなんですよ。

堀江:
なにもそんな議論とか、参加したくもない人たちとかにもそういう選挙権とか与えて、議論に参加させなきゃいけないとか、させちゃダメだとか、いろいろ言っているわけじゃないですか。でも、その人たちはあんまり知らないわけじゃないですか。言語能力もないし。
で、言語能力のない人に「言語能力もつけなきゃダメだ!」って言ってるわけじゃないですか、猪瀬さんは。

猪瀬:
違う、違う。そうじゃなくて。

堀江:
そうじゃないの?

猪瀬:
僕は別に吉田さんと同じ意見なわけじゃないから。
要するにそれは、我々はいま会話しているわけだから、それを普段、どこでも誰でもやってることだから、そこに言語技術が必要ですよねって話は。それは、根拠や数字や事実を一言、理由を挙げなさいよ、と。そういうことによって、底上げがはかれるでしょうと。

堀江:
だから、底上げを……

猪瀬:
底上げっていうのは、コミュニケーション能力を高めるっていうことは当然でしょうねと。これだけ、1000万人以上参加するようなメディアが出てきているわけだから。それはそれでひとつあるんじゃないの、ということを言っているわけで。
それと、さっき鈴寛さんが言った1000人くらいで政策決定をしていくプロセスは、そこで利害関係者が集まってやっていくわけですから。利害関係者というのは、関心が強い人です、実際にね。金がいくら入るというだけじゃなくて。関心が高い仕事を持っている人とか、その人たちが一生懸命、1000人くらいで議論している。ということは、政策決定で官僚だけに任しておくんじゃないよ、ということを言っているわけでしょ。

堀江:
それは分かるんです。分かるんですけど……

吉田:
能力が高い人が共同体の多数だったら、直接民主制もいいでしょう。ところが、そういう言語能力を含めた形で能力の低い人たちが共同体の多数だったら、それは、鈴木先生のようなエリートに、取りあえず自分たちの主権を預けよう、と。

猪瀬:
能力と言語技術は違うんだよ。言語技術って別にさ、エリートとかエリートじゃないとかって話じゃなくて。

東:
それは、そんなに単純な選択なんですか? つまり、エリートによる直接民主制と……

吉田:
でも、原理的にはずっと民主主義っていうのは、この二つの軸の中で……

猪瀬:
ギリシャのやつもね、要するに利害関係者ですよ、基本的にはね……

東:
じゃあいままで、現実的にその2つが相克してきた歴史があるとして、しかし今、僕たちは新しいコミュニケーションの技術を持ってますよね、というところがあるわけですよね。技術はすごい重要で、結局コミュニケーションというのは時代時代の条件でかなり強く規定される。
昔は熟議をするといっても20人ぐらいが限界だったのが、今だったらインターネットを介せば2000人ぐらいでも熟議できるかもしれない。
ここには本質的な差がありますよね。
で、もしくは昔だったら障害者の方々、もしくは言葉がしゃべれない方というのは熟議に参加できないかもしれないけど、ネットがあればその問題は乗り越えられる。そういうふうな形で技術による……

堀江:
だから、これまでって政治力がある人しかそこに参加できなかったんじゃないの? 違うの?

東:
いや、だから、そうですよ。

堀江:
僕なんて政治力全然ないんで、そういうのに参加できないんですよ。

東:
いや、政治力だけはあると思いますけど。

(みんないっぺんにしゃべるので聞き取れない)

??:
そんなことないですよ。

堀江:
いや全然ないですよ。政治力ないから…

東:
それはともかく…

堀江:
なんとか委員会とか行ったことないですもん。

津田:
さっきの黒ペン問題で。

東:
そろそろ津田さんとかにも。なんかこう、津田さんずーっとウォッチしてるだけなんで、参加していただきたいんですけど。

津田:
じゃあ、黒ペン赤ペンの話を聞きたいな、なんて。

東:
だから今の吉田さんの話は、そのまま黒ペン赤ペンの問題にそのままつながる話で、結局その、今、吉田さんがおっしゃったのはネットが出てきたからといって、大衆による直接の政策決定みたいなことをやったら、そんなことできるわけないだろう。そういうものなんだということを。

吉田:
鈴健さんの冒頭のプレゼンに帰れば、それは、例えば政策実効性が低いものが出てきてしまうかもしれない。消費税はみんな反対だとか。

堀江:
いや、反対じゃないですよ、僕、全然。

吉田:
いや、それは、堀江さんは…

東:
それは面白い議論だけど。だから吉田さんは、ひとことで言うとインターネット民主主義みたいなものは一種空理空論で、そんな消費者がみんなで黒ペンを持って政策を作るなんていうのは、歴史的に考えてできないよとおっしゃってる。

吉田:
いや、やってもいいけれども…

東:
そこで、鈴寛さん、津田さんを巻き込んだ上で議論したいわけですが。じゃあ本当にその鈴寛さんの経験を踏まえた上で、市民が黒ペンを持ってみんなで集団で政策を作るって実際できているのか? どうですか? 実感として。

鈴木寛:
ですから、もちろんそこに入ってきてる人はできてます。当たり前の話だけど。

堀江:
できているんですか。ほぉ、すごいすごい。

鈴木寛:
やはりこれは結局、当事者性の問題だと思うんです。当事者になればなるほど、やっぱり迫られて勉強するから。日本人は少なくとも基礎的な学力はおおむね身につけているので、身につけさせてきたので、これまでは。今は劣化してるから立て直すけども。
だから、30代とか40代でPTAの人だったら、十分議論できてるし、60代70代のボランティアの理事をやってくれてる人たちは、十分に熟議に参加できていると思います。

津田:
すごいシンプルな質問していいですか? 熟議カケアイと、パブリックコメントってどう違うんですか?

鈴木寛:
パブリックコメントは赤ペンですよ。

堀江:
あれ、言うだけですもん。

鈴木寛:
でね、赤ペンで一発。
熟議カケアイは黒ペン、これが膨大につながっているわけです。

津田:
黒ペンのCGM化って感じですか。(Consumer Generated Media =消費者生成メディアの略)

鈴木寛:
黒ペンのCGM化。パブリックコメントは役人が作ったり政治家が作ったものに対して、一回だけ、しかも作ったヤツに言うから、ユーザー間のインタラクションがないんですよ。だから熟議カケアイはユーザー間がむしろ議論をしていて、まさにCGM。

堀江:
面白い仕組みなんですけど、文部科学省しかやってないんですか?

鈴木寛:
今、文部科学省が始めて、内閣府だとか内閣官房だとか厚生労働省だとかもやりたいと。

堀江:
やりたいと…

猪瀬:
例えばそれはね、文部科学省はお金の規模が小さいからね。ようするにね、厚生労働省とか国土交通省とか、たくさんの大きなお金が動いている世界は、利害関係者が多いし、いろんなものの調整が大変だから。
文部科学省から始めていくことはいいことだと思うけど、まだなかなかそう簡単にはいかないと思うよね。
僕は道路公団の民営化のときに、全部公開して、全部資料を出させてやったんだけど。それはかなり専門性があって、自分で勉強して、ユーザーとして自分が高速道路を利用してたわけだからね、それでどんどん勉強してやっていって、公開していくわけだけれども、そのプロセスをやっているときは、相当力量が問われるんですよ。時間も費やされるしね。

堀江:
文部科学省だったらけっこう簡単に導入できたと。

猪瀬:
だから、学校の先生とかいろんな利害関係者が分かりやすいから、当事者が。文部科学省は。

堀江:
国土交通省とかは分かりにくい?

鈴木寛:
国土交通省なんかでも、市道、町村道とかをどうするか。そういうインプットとアウトプットがちゃんとイメージできる範囲から始めていくのがポイントで。
文部科学省でも、宇宙開発どうしようかみたいな話はなかなかしんどいわけです。それはテーマを選んでる。

猪瀬:
そうだな。

堀江:
なんで、しんどいんですか。

鈴木寛:
ちょっと一個だけ。今、文部科学省が国土交通省の予算に並んだので。

堀江:
そうなんだ。

猪瀬:
あ、そう。

鈴木寛:
ええ。だから、今……

猪瀬:
無料化とかやったからだな……

吉田:
最初の民主党論にもどっちゃうんですけど、そういう当事者性だけで成り立ってる政策で、積み上げで熟議をやるというのはいいんですよ。ところが、それをこっちでもやってあっちでもやって、それを総合する力がない。だから政党っていうのは実は必要なんですよ。あるいは代議制というのが必要になってくるんですよ。

東:
例えばこの政策とこの政策が矛盾してますよみたいな話ですよね?

吉田:
矛盾した場合にどうするのかと……

東:
まず第一に、今の政党っていうのはその矛盾を解消してるんですかね?

吉田:
少なくとも解消するような仕掛けはあったんだと思いますよ。自民党政権には少なくともありました。僕は自民党支持者じゃないけど。

東:
あともう一つ。鈴寛さんの実感としてはどうですか? 今、熟議カケアイはすごくまだ実験的な段階だからそういう状態は起きていないのかもしれないけど。つまり黒ペンを握った2つの集団が、どうみても政策に整合性が取れないようなものをお互いに出してきた。じゃあ誰が調整するのか?

津田:
言葉を換えて言してもらうと。質問になっちゃうんですけど、今まで役人が黒ペンで書いて作ってきた審議会とかのペーパーがあるわけですね。アジェンダみたいなペーパーがあるのを、それを熟議カケアイみたいなもので、ある種ウィキペディアとかGoogleDocsみたいに全部履歴がある場で、みんなで共同編集をしてどんどん作っていきましょうといったときに、それがきちんと利害関係者に、いろんな「この論点もあればこの論点もあるよね」とうまく入っていければ、それはいいんですけど。
一方でウィキペディアは編集合戦も起きるわけですよ。当然その利害関係者も立場が違うというときに、そういう編集合戦みたいなものが、ちゃんと政策を決めましょうというペーパーを最終的に作っていくときに、編集合戦が起きたときに、それの調整はどういうイメージで解決するんですか?

鈴木寛:
だから、編集合戦になったら最後は選挙で選ばれた我々政治家が、編集長として最後は…

猪瀬:
そこで飛躍するんだな。ちょっと待って、その前にさ、

東:
今のは僕は悪くないと思いますよ、つまり調整役としての正当性のみが実は選挙によって与えられているんだ、と。

津田:
まぁ、その編集履歴がオープンになって、

東:
政策立案じゃなくて。ちょっとしたパラダイムチェンジだと思いますよ。

津田:
編集合戦があったとき、この2つの選択肢があったときに、その2つの選択肢の中で、民主党の、もしかして鈴木寛という政治家がこれを選んだということがオープンになっていればそれはものすごく開かれていますよね。

堀江:
それを直接投票すればいいんじゃないの? ダメなの?

鈴木寛:
それは投票できないの。

堀江:
あー(聞き取れず)

東:
熟議の話は2種類あって、それは本当は最初の問題に戻るんだけれども。結局投票というのは政策を選ぶんだってのが、いままでは政治家を選んでいた、これからは政策を選ぶんだというわけなんだけど、そうじゃなくて、いま鈴寛さんがおっしゃったのは、これからの政治家の役割は、むしろ黒ペンを持った市民たちが闘争したときの調停役としてあるべきなんだ、という話でしょ。これは僕は結構良い話ではないかと思います。

猪瀬:
それはどっかで飛躍して結論を出さなくてはならない。

鈴木寛:
だからこれはね。

猪瀬:
いや、ちょっと待って。それでね、それは認めますよ。当然だと思う。その前にだから今言った調整のね、調整の中に、フェアプレイというものがなければダメなんだよ。基本的には。つまりルール。言語技術やファクト、証拠、データを共有することによって対立は少なくなってくるんですよ。だから僕は徹底的にそういうときデータを出させていたわけね、その客観性のあるデータ。そうすると対立が減っていくわけ。

堀江:
それはそうでしょうね。

猪瀬:
どうしてもここだけ、というところに最後、鈴木寛さんが「じゃあ決着」とやればいいわけ。

堀江:
それって投票でいいんじゃないんですか? 最後は。

猪瀬:
だから投票に行くまでの詰めをね、どれくらいね、フェアプレイでやれるかっていうのが。

津田:
逆に堀江さんに聞きたいのが、投票でやればいいって言うのは、それは「投票したい」という人がやればいいのか、全員に選挙権みたいなものを与えたほうがいいのかどっち?

堀江:
その討論の熟議カケアイの参加者でやればいい。

津田:
その中で。

堀江:
でもいいし。

猪瀬:
情報が偏っている、前提としてじゃ。官僚はいっぱい持っているわけ情報が。

堀江:
僕ね、今日聞きたかったんだけど、例えば今ちょっと出てきたんだけども、普天間問題みたいなものを熟議カケアイでやった場合どうなるんですか?

猪瀬:
一言で言えばさ、はっきり言って、違う普天間をどうするのか、どかすのなら、その増やす部分をどこにやるのか、というのを出すのがフェアプレイ。どかすだけというならフェアプレイではない。

東:
普天間問題を熟議カケアイみたいなものがあったらそれはとてもいいことだと思います、何でかって言うと、いまメディアとかチェックしていると、普天間問題についてよくわからんですよ。いくら読んでもよくわからない。
なんでかっていうと沖縄の本当の声とか出ていますけれども、それは誰かを通した意見になっているので、それがもし本当に熟議カケアイみたいなサイトで沖縄の市民から、それこそ、普通にストレートにやっていたら、代表者が密室でやるんじゃなくて。

堀江:
だから、そこに熟議カケアイを首相官邸の熟議カケアイみたいなところでそういうのをやったら、すごく面白い。

東:
やればそれを観察しているだけで、すごい大きな情報ですよね。

猪瀬:
鈴寛さんとこが色々やっているかもしれないけれども、全体に民主党は毎日コロコロコロコロ変わるので、本当にやる気ないんだよ、それは。だから、さっき言ったように政調会があれば、もっときちんと議論して……

鈴木寛:
政調会もあるし、熟議なんですよね、フェアプレイの話に戻ると、それはとても重要なんですけども、結局ソーシャルキャピタル(社会における人々の信頼関係や人間関係のこと)ということなんです。熟議カケアイをやっているコミュニティのソーシャルキャピタルが、どう積み上がっていくかということで、これは一歩一歩、1回成功体験をするというか噛み合った熟議が出来た、と、それによって政策が変わった、現場が変わった、という体験をすると、ああやっぱりフェア精神は大事だったな、と。だいたいねどんなコミュニティスクールでもね、一回弾けるんですよ。今までのオブザベーション(観察)だと。弾けて、だけどどうするんだ、と、もう一回やろうと立ちあがると、その回転をためていくということを繰り返すしかないな、と、ということですよね。
それと政治家の役割はなにかというと、まさに黒ペンの編集者ということと、正義は何かということをどう解釈しますか、というところがね、政治家の仕事でね、それが編集方針に現れるわけで。
そういうことが、マニフェストレベルのものを問うのではなくて、僕はどういう価値のプライオリティを持っているのか、どういう順番で、対抗する価値というものを、どれも重要なんですよ。道路も大事だし、納税者も大事だし、教育も大事だし、軍事も大事だし、どれも政治は大事なんだけれども、敢えてそれに順番をつけるということが限られた財源の中で、これがまさに政治プライオリティだから、そういったことはきちっと示した上で編集人としてやっていく。

吉田:
それに対してソーシャルキャピタルすごく低いんですよ、国際統計上見てね。一方で民主主義が結構うまくいっているな、政策の実行性が高いなという国はどの国もソーシャルキャピタルが実は高いんですよね。

鈴木寛:
だから、だけど、そこでどうやってソーシャルキャピタルを高めるかということからコミュニティスクールが始まったわけなんですよ。要するにコミュニティソリューションをやろうということを97年の「ボランタリー経済の誕生」(実業之日本社)で言ったんだけれども、じゃあどれからやるか、道路からやるか、医療からやるか、介護からやるか、保育からやるか。でも一番、教育からやるのが現実的だな、ということでコミュニティスクールから始めたわけで。ある程度ノウハウが溜まったところで次はコミュニティ介護だとかコミュニティ医療だとかみたいな話になって……

東:
あと司会としてひとつ、さっきの鈴寛さんの話と、最初の鈴健さんの発表をつなぐパスを出しておくと、結局その調整役としての政治家というのは民意の反映なんだけども、反映の仕方にさまざまな仕方があって、ということだと思うんですよね。

(その3に続く)

関連記事

前後の書き起こしコンテンツ

kakio_kun さんが書き起こしたその他のテキスト