【TED Talks】 偉大な指揮者に学ぶリーダーシップ(イタイ・タルガム)

指揮における魔法の瞬間。
ステージに出て行く。
オーケストラがいて みんなウォーミングアップをしている
指揮台の上にあがる。
指揮者の小さなオフィス というよりは 広いオープンスペースにある 壁のないキュービクル 様々な雑音がしている。
そこでほんの小さな身振りをする。
このように 華麗でもなく 洗練されてもいない。
すると突然 混沌の中から 秩序が生まれる 雑音が音楽に変わる。

それは あまりに素晴らしく 俺ってスゴイと思いがちです。 (笑)
「騒音を出している一流の演奏家たち 彼らには私の指揮が必要なのだ 」
でもそうではありません。
もしそうなら この話をやめて ただ身振りについて教えるところです。
そうしたら あなた方はその身振りで 会社だろうと何だろうと 完璧なハーモニーを 作り出せることでしょう
しかし うまくはいきません。

カルロス クライバーの指揮:喜びの放射

最初のビデオを見てみましょう ハーモニーの良い例です。
そのあと それがどこから来るのかをお話しします。

(演奏)

いいでしょう? これはうまくいっています。
では何によって成功したのでしょう?
ウィーンフィルの 演奏家たちは もちろん見事に演奏していました。
彼らは指揮者を見もしないことがあります。
それから手拍子する聴衆 彼らも音楽に参加していました。 普段はウィーンの聴衆が音楽を妨げることはありません。
ウィーンでは 酒宴のベリーダンスに一番近いのが これなのです。 (笑)

観客が絶えず咳をしているイスラエルなんかとは大違いです。
ピアニストのアルトゥール ルービンシュタインはよく言っていました。
「世界中どこでも風邪を引いた人は医者に行くものだが テルアビブでは私のコンサートにやって来る」
(笑)
そういう伝統なのです。
しかしウィーンの聴衆はそんなことしません
ここでは慣例を破って オーケストラの一部になっています。
すばらしいです。
あなた方のような聴衆が 特別な瞬間を作り出すのです。

しかし指揮者はどうでしょう?
指揮者は実際のところ何をしているのでしょう? 彼は楽しそうでした。
私はこの映像をよく経営幹部に見せています。 みんな困惑します。
「仕事をしているのに どうしてあんな楽しそうなんだ? 何か間違ってるに違いない」
でも彼は幸せを放射しています。
この幸せが来ているのは 彼自身のストーリーや 彼の音楽の喜びからだけではないというのが重要です。
この喜びは 他の人々のストーリーを同時に 聞けるようにすることによるものなのです。

プロの集団としてのオーケストラのストーリーがあります。
コミュニティとしての聴衆のストーリーがあります。
オーケストラや聴衆の中の 個々人のストーリーがあります。
それから他にも目に見えないストーリーがあります。
この素晴らしいコンサートホールを造った人々のストーリー、ストラディバリウスやアマティといった見事な楽器を作った人々のストーリー、すべての人々のストーリーを同時に聞くことができる。
それがライブコンサートの真の体験なのです。
それがわざわざ出かけていく理由なのです。

リッカルド ムーティの指揮:命令的

指揮者がみんなそんな風であるわけではありません 別な大指揮者 リッカルド ムーティを 見てみましょう。

(演奏)

すごく短いですが 全然違う人物というのはわかります。
彼はすごいです。
とても命令的です。
きわめて明確です。
ちょっと明確すぎるくらい。
実験してみましょう あなた方はオーケストラになってください ドン ジョヴァンニの最初の音を歌っていただきます。 「アーーー」と歌って 合図をしたら止める いいですか?

聴衆: アーーー…♫

私に合わせてください。
そんな風にされたら 元々感じているより いっそう余計な人間みたいに感じます。
(笑)
だから指揮者を待ってください 私を見て 「アーーー」 そして止める ハイ

聴衆: アーーー…♫ (笑)

後でちょっと話しましょう (笑)
実は欠員がありまして… (笑)
指一本でオーケストラを止められるのが分ったでしょう。
ムーティはこんな風にします… (笑)
それからこんな風に
(首を突く身振り―笑)

指示だけでなく 制裁も明確です。
言うとおりにしないとどうなるか分ってるだろうな? (笑)
これでうまくいくのか? ええ いきます。 あるところまでは

「どうしてそのように指揮するのか」
と聞かれ ムーティは答えています。
「私は 彼に対して責任がある」
あそこにいる人ということじゃないですよ。
彼が指していたのはモーツァルトです(笑)
真ん中から3番目の席にいるかのように (笑)
だから彼は言うのです… (拍手)

「私にモーツァルトに対する責任があるなら
これが語られるべき唯一のストーリーである
これが 私リッカルド ムーティが理解したモーツァルトだ」

それでムーティはどうなったのでしょうか?
3年前 彼はスカラ座の全従業員 700人連名の手紙を受け取りました。
音楽家たちは言ったのです。

「あなたは偉大な指揮者です。
私達はあなたと働きたくありません
辞任してください」
(笑)

「あなたは私達に作らせてくれません
あなたは私達をパートナーではなく
楽器として扱っています。
私達の音楽の喜びは…云々」

それで彼は辞めざるを得なくなりました。 いい話でしょう? (笑)
いや彼はいい人なんですよ 本当に
もっとコントロールを少なくするか 違ったやり方をすることはできないのでしょうか?

リヒャルト シュトラウスの指揮:演奏家に自分で生み出させる「無干渉」

次の指揮者リヒャルト シュトラウスを見てみましょう。

(演奏)

彼が年寄りだから選んだのだとは思わないでいただきたい。
そうではありません。
彼が30歳くらいのとき 「指揮者の十箇条」というのを書きました。
その一番目は
「コンサートが終わったとき汗をかいているようなら 何かやり方が間違っているということだ」
というのです。
4番目のやつは気に入ると思います。
「トロンボーン奏者の方は見ないこと 彼らを はりきらせることになる」
(笑)

ここでの考え方は 自分で生み出させるということです。
干渉しない。
しかし どうやってそうしているのでしょう?
彼が楽譜のページをめくっていたのに気付きましたか?
彼は高齢で自分で書いた曲も 覚えていなかったのでしょうか?
それとも オーケストラに強いメッセージを送っていたのでしょうか?
「ほら 楽譜で演奏するんですよ
これは私のストーリーではありません
書かれた通りにやっています。
解釈なしに」

解釈は演奏家の本当のストーリーです。
だから彼は自分でやろうとはしない これは別種のコントロールです。

ヘルベルト フォン カラヤンの指揮:ムーティの対極

ドイツのもう1 人のスーパー指揮者 ヘルベルト フォン カラヤンを見てみましょう。

(演奏)

何が違っているでしょう?
カラヤンの目を見ましたか?
閉じています。
彼の手を見ましたか?
こんな風にやっていました。
指揮させてください 2度やります。

1度目はムーティ
1 度手を叩いてください
それからカラヤンをやります。

いいですか まずはムーティです。
ちょっとムーティっぽくしましょう… (笑)
いいですか? はい

聴衆: (手を叩く)

んんっ…もう一度

聴衆: (手を叩く)

次はカラヤン あなた方はもう大丈夫だから 私に集中させてください。
目を閉じます。
さあどうぞ。

聴衆: (バラバラな拍手―笑)

なんで合ってないの? (笑)
いつ手を叩けばいいのか分らないからです。
実を言うと ベルリンフィルだって いつ弾けばいいのか分らないのです。 (笑)

彼らがどうしているかお教えしましょう。
冗談ではなく ドイツのオーケストラですから 彼らはカラヤンを見 それからお互いを見るのです。
(指差して「何あれ?」という身振りをする―笑)
「彼がどうしたいか分った?」
そうして 互いを見 コンサートマスターが 全員がそろうようにリードするのです

カラヤンは聞かれたときに実際答えています。
「私がオーケストラに与えうる 最大の害が何かというと 明確な指示を与えることだ
それはアンサンブルを 互いに耳を澄ますのを妨げることになるが それはオーケストラに必要なことなのだ」

目はどうでしょう?
なぜ閉じているのか?
カラヤンがロンドンで指揮したときの素晴らしい逸話があります。
彼がフルート奏者に こんな風にキューを出しました。
フルート奏者はどうしたらいいのか全然分りませんでした。
(笑)
「マエストロ 私はどこで吹けばよいのでしょう?」
カラヤンがどう答えたか分りますか? いつ吹くのかって? 彼は言いました。
「それ以上我慢できなくなったときに」
(笑)

君には何かを変える権限はない これは私の音楽だ。
本当の音楽はカラヤンの頭の中にしかありません。
楽団員はカラヤンの心を推し量らなければなりません。
カラヤンはやり方を指示しないので 団員はものすごいプレッシャーを感じます。
これは種類は違いますが 心理的で とても強いコントロールです。

再びカルロス クライバーの指揮:演奏家をクリエイティブにする

これは別なやり方ができないのでしょうか? できます。
最初に登場した指揮者 カルロス クライバーをもう一度見てみましょう。

(演奏)

(笑)
ええ 全然違いますね。
同じコントロールなのでしょうか? いいえ 彼はこうしろと指示しているのではありません。
彼がああしたのは 「さあみんな ストラディバリウスをジミ ヘンドリックスみたいに 床にたたきつけて」と言っているわけではありません。
彼が言っているのは「これは音楽のジェスチャーだよ 私は君たちのために 解釈のレイヤをもう1 つ入れる 場所を作っているんだ」
これは別なストーリーです

でも指示をしなくて どうしてうまくいくのでしょう?
まるでジェットコースターみたいです。 実際には何の指示も与えられません しかしそのプロセス自体の力によって形が保たれているのです。
それが彼のしていることです。 面白いのは― ジェットコースターが実際は存在しないことです。 物理的なものではなく 演奏家たちの頭の中にあるのです。

そしてこれが彼らをパートナーたらしめているのです。
演奏家は頭の中にアイデアを持っています。 クライバーがこうしろああしろと指示しなくとも 何をするのか分っています。
どうすればいいのかわかる そしてこのジェットコースターに乗りながら 音を使って一緒に作り上げる パートナーとなるのです。
これは演奏家たちにとって とてもエキサイティングなことです。
あとで2週間ばかり休養が必要なくらい (笑) 疲れ切ってしまいます。
しかし これこそ最高の音楽の作り方なのです。

権威・制裁が顔を出すケース

しかしもちろん モチベーションと 物理的なエネルギーをたくさん与えるだけではいけません。
プロフェッショナルである必要があります。
クライバーをもう一度見ましょう 次のビデオをお願いします。
ミスがあったときにどうなるのかわかります。

(演奏)

ここでも素晴らしいボディランゲージが見られます。

(演奏)

ここでトランペット奏者が 本当とはちょっと違ったやり方をします。
見ていてください
同じ奏者の2回目
(笑)
同じ奏者の3回目
(笑)
「コンサートのあと残っているように ちょっと言うことがある」

必要なときには 権威が現れるのです。
これは重要なことです。 しかし権威だけで みんなをパートナーにすることはできません

賞賛するというボディランゲージ

次のビデオで何が起きているか見てみましょう。
クライバーがあんな超活動的なことに 驚いたんじゃありませんか?
モーツァルトをやっています。
(演奏)
オーケストラ全体で演奏しています。
(演奏)
ここで変わります。
(演奏)
わかりますか?

彼は全く どうしろと指示をしていません むしろソリストの演奏を楽しんでいます。
(演奏)

もう一度ソロ ここから何がわかるでしょう。
(演奏)
目を見てください 見ました?
何よりこれは最高の賞賛であり 一種のフィードバックです。
「ああ……」
という溜息。
そう それは天から来ている。
だからいいものです。

もう1 つは実際 コントロールしているのですが とても特別な方法でしているということです。
クライバーが上を見上げたのを 見たでしょう?
タリラ… 何が起こったのでしょう? もはや重力はなくなったのです。

クライバーはプロセスを作るだけではなく そのプロセスが行われる 場の条件も作っているのです。
だからあのオーボエ奏者は まったく自律的で 楽しく 自分の仕事に誇りを持ち クリエイティブになります。

クライバーがコントロールしているのは別なレベルです。
だからコントロールはもはやゼロサムゲームではありません
1人ひとりがコントロールしており 指揮者はそれをパートナーシップにまとめあげ 最高の音楽を生み出しています。 だからクライバーはプロセスを作り そのための場の条件を作るわけです

レナード バーンスタインの指揮:指揮棒をふらない

しかし意味を生み出すにはプロセスと内容が必要です。
レナード バーンスタインは 優れた教師であり 私自身の師です。
バーンスタインはいつも意味から入っていました。
これをご覧ください。

(演奏)

ムーティの顔は覚えていますか?
彼は素晴らしい表情を持っていますが 1つだけです。
(笑)
バーンスタインの顔をご覧になりましたか?
なぜだかわかりますか?
それはこの音楽の意味が苦悩だからです。
だから苦悩の音を演奏しています。
そしてバーンスタインと彼の苦しみを見ます。
でもそれは止めたくなるようなものではありません 自分で楽しんでいるような苦しみです。
ユダヤ人らしく (笑) 彼の顔に音楽を見ることができます。
彼の手には もはや指揮棒はありません
いまや演奏家たるあなた方が ストーリーを語るのです。
逆転しています。
あなたがストーリーを語るのです。
たとえ短くとも あなたは語り手となり コミュニティ全体があなたに耳を傾けるのです。
バーンスタインがそれを可能にしているのです。
素晴らしいと思いませんか?

いままで話してきたことすべてと その他のことをしたなら 無為の為という素晴らしい境地に至ります。
最後のビデオに一番ふさわしいタイトルは 私の友人のピーターの言葉ですが
「何かを愛しているなら それを与えること」
です。

(演奏)

(拍手)

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