斑目春樹氏の質疑@国会事故調文字起こし パート1

発言者:
黒川清委員長(医学博士、東京大学名誉教授、元日本学術会議議長)
大島賢三委員(独立行政法人国際協力機構顧問、元国際連合大使)
石橋克彦委員(地震学者、神戸大学名誉教授)
野村修也委員(中央大学大学院法務研究科教授、弁護士)
田中三彦委員(科学ジャーナリスト)
崎山比早子委員(医学博士、元放射線医学総合研究所主任研究官)
黒川清委員長斑目春樹参考人(原子力安全委員会委員長)

黒川清委員長 それでは、時間がまいりました。東京電力、国会によるですね、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会、通常、国会事故調と言っておりますが、第4回委員会を開会いたします。お手元にありますように、まず今日の項目の二番目ですけど、委員会の運営についてお諮り致します。

まず、委員会の運営に関しては、あの、参与についてでございますけども、当委員会の参与として、お手元の資料1に記載の通り、原子力工学がご専門の木村逸郎先生、それから放射線医学その他分子生物学のご専門の児玉龍彦先生、さらに、経済学、公共政策などがご専門の八田達夫の三人が任命されましたので、ご報告致します。

次に、委員会運営についての二、運営規定ということでお諮りしますが、この委員会の運営規定でございますが、改めてお手元に配布いたしました資料の案で進めたいと思っておりますが、特に委員の方からご異議ありませんか。

委員  異議なし。

委員長 ありがとうございます。それでは、異議なしと認め、そのように進めさせていただきます。ありがとうございます。それではですね、今日の3、4に入りたいと思っております。

まずあの、原子力安全委員会に関する質疑応答ということで、本日の参考人との質疑を開始しようと思っておりまして、本日は原子力安全委員会の班目委員長、それから、原子力安全保安院の寺坂保安院長においでを頂いております。お忙しい中、お二人の委員長に国会事故調査委員会にご協力いただきましてありがとうございます。

今般の東京電力福島原子力発電所事故当時、お二人とも、最前線の責任者として、大変な責任のある立場で大変にご苦労されたお二人から、当時の状況、経緯を伺い、原子力災害時の緊急対策について、あるいは事故の被害の軽減対策について、また、今後の原子力安全のあり方について、等について有意義な議論をさせていただければと思っておりまして、まず原子力安全委員会について、斑目春樹原子力安全委員会委員長にお願い致します。本当にありがとうございます。今日はよろしくお願いします。班目委員長には参考人としてご出席いただきありがとうございます。

早速ですが、福島第一原子力発電所事故が起きたことについて、これまで原子力安全についての総元締めという立場でおられました班目委員長には、過去の原子力安全委員会の活動について、どのように総括されていらっしゃるのでしょうか。まずお聞かせくださいませ。

斑目 はい。まず原子力安全委員会というところはですね、原子力安全の確保に関するですね、基本的な考え方を示すということが最大の任務となっております。で、従いまして、そういうものを安全審査指針類としてこれまで発行してきたわけでございますが、あの、えー、今まで発行してきた安全審査指針類に色々な意味で瑕疵があったということは、もうこれはあの、はっきりと認めざるを得ないということでございます。

たとえばですね、あの、津波に対して十分な記載が無かったとか、あるいはあの、全交流電源喪失ということについてはですね、もうあの解説の中にですね、長時間のそういうものは考えなくてもいいとまで書くなどですね、あの、明らかな誤りがあったことは、あの、認めざるを得ないところで、大変あの、原子力安全委員会を代表してお詫び申し上げたいと思っております。

えー、ま、あの、そういうことで、現在、あの、原子力安全委員会では、えー、このような、あの、安全審査指針類に関しましてはですね、順次、えー、改定を進めているところで、あの、原子力安全委員会は一応この三月末をもって、新しい組織に、えー、引き継がれるということですので、三月末を目指して色々な、あの、中間取りまとめを、えー、あの、外部の専門家の方にお願いをしているところでございます。

委員長 ありがとうございます。あの、まあ、先生今おっしゃいましたけど、確かに、あの、色々な今までのことでは、今度の福島第一原発で色んなことが明らかになってきたと思いますが、先生、特にそのご専門の立場もありますし、まあこういう委員会の委員長とされて、まあ全電源喪失という、まあ思いもかけない事故とおっしゃいましたけど、このようなことはどの程度に想定されておられたんでしょうか。

斑目 あの、えーとですね、あの、安全委員会としてはですね、だいぶ前に、あの、検討した結果ですね、我が国の停電の事情というのから考えて、えー、諸外国と比べてその頻度は非常に低いだろうという、そういうデータを持ってですね、全交流電源喪失というものは考えなくていいとしてしまっております。

で、それからですね、この外部からの電源というのは基本的には安全系ではないというか、安全確保のためには、ディーゼル発電機さえ、えー、えー、生きてればいいということで、ディーゼル発電機の安全性ばっかりに気を取られてた。しかしながら、ディーゼル発電機だって、水没してしまえば使い物にならなくなる。まさに、あの、えー、コモンコーズと言いますか、津波が押し寄せてきたら、複数台用意しといてもいっぺんに駄目になるわけですね。

で、そういうことについての配慮というのが、全く為されてなかったということは大変な問題だったであろうと考えております。

委員長 そうね。ま、そうするとあのう、ま、そういうことを今になってなのか、ま、そういうことを先生もご専門の立場ですから、特にあの低いとこにあるディーゼルエンジンなんかもそうですけども、あの、想定されなかったんでしょうかね。

斑目 えーとですね、あの、これは、あの、当時から私がずっと安全委員をやってるわけではございませんので、あの、あくまでも推測になります。えー、しかしながらですね、若干気になったたのはですね、あの、えー、我が国と違って、たとえばアメリカなんかを見るとですね、このアメリカ、ステーションブラックアウトと言いますけれども、これについてはですね、あの、しっかりと、あの、えー、こういうふうな対応をしなさいという方針、文書を作ってございます。で、そういうのを横目に見ながら、何等対応もしなかったというのは問題であったと思います。

で、あの、結局ですね、この問題のさらに根っ子にあることはですね、あの、なんかそういう、えー、諸外国で色々と検討された時に、その、ややもすると、我が国ではそこまでやらなくてもいいよという、その、そういう、えー、言い訳といいますかですね、えー、やらなくてもいいということの説明にばっかり時間をかけてしまって、その、えー、いくらその抵抗があっても、やるんだというそういう意思決定がなかなかできにくいシステムになっている。このあたりに、えー、問題の根っ子があるんではないかというふうに私自身は考えてございます。

委員長 そのなんとなく難しいというのは、先生のご経験だとどういうところにあるんでしょうか、具体的には。

斑目 えーとですね、まああの、私の立場でどこまで申し上げていいかよく分かりませんけれども、えー、ある意味ではこれは、あの、えーと、あの、官僚制度の限界と言いますかですね、あの、えー、たとえば、あの、そこの担当の人間が、大体あの、えー、2年ぐらいで日本の場合代わっていくわけですね。で、そういう時に、その、ものすごい大きい問題まで取り扱い出そうとすると、自分たちの任…自分の任期の間に終わらない。そうするとですね、えー、ややもすると、その、えー、まああの、そういう大きな問題に手を出さないで、それで、えー、如何にそういうことを議論しなくてもいいかということの説明ばっかりやれば、あの、いいと。

で、あの、日本の公務員制度っていうのは、基本的に、加点方式ではなくて減点法だと思いますので、そういう制度を採ってる(二文字分ぐらい聞き取れず)ではなかなか、えー、深堀りができないんじゃないかというふうに思っております。

委員長 ま、それからあの、ま、安全委員会の委員長の立場、あるいは安全委員会としては、まあ先生もおっしゃったように、まあ、特に海外で色んなこの、あの、対応によってですね、非常にスペシフィックな、スペシフィックっていうか、こう、どういうことをするという、ま、割りに、何と言うんですかね、きちんと記述された指針みたいのが出てきますよね。

そういうことについては、ま、もちろん、その、当事者、あの、役所も知ってたんだと思うんですけど、議論してるうちに、ま、そうなったという話ですが、たとえば事業者に対してはどういうふうにそれが伝わったんでしょうか。

斑目 えーとですね、あの、えー、私は、あの、えー、我が国の場合、もっと事業者の責任というのをですね、あの、強く求めるべきだというふうに思っております。そしてですね、えー、事業者と規制当局との間に、その、これはあの、IAEAなんかの安全基準で書いてございますが、まさに、えー、フランクでオープンで、それでいてフォーマルなちゃんとした、あの、コミュニケーションが為されなければいけない。えー、そこがですね、どうもうまくいってない。

で、あの、えー、ややもするとですね、あの、えー、護送船団方式と言いますか、あの、一番低い、えー、安全基準かなんかを、えー、電力会社が提案すると、なんとなくそれを、あの、規制当局としては呑んでしまう。で、今度はそれが出されるとですね、えー、国が既にここでお墨付きを与えてるんだから安全ですよと言って、安全性を向上させる努力というのを、えー、事業者の方では、えー、やらなくなってしまう。なんかそういう悪循環に陥っていたんではないか。

で、やっぱり、あの、本来、安全確保の一義的責任は、あくまでも電力会社にあります。従って、電力会社は、国がどういう基準を示そうと、その基準をはるかに超える安全性を目指さなきゃいけないんです。で、それなのに、えー、それを、あの、えー、しないで済む理由として、えー、安全委員会が作ってるような安全審査指針類が使われてるとしたら、大変心外だと思いますし、これからは決してそうであってはならないというふうに思ってます。

委員長 委員長は心外というお言葉でしたけど、東京電力が今回のことで想定外と言うのはいかがでしょうかね。

斑目 えーとですね、あの、これは非常に難しいところで、あの、えー、果たしてあれだけの大津波をどれだけの人間が想定できたかは分かりません。しかしですね、あの、まず二つ申し上げたいのは、あの、えー、第一に、えー、こういう、その津波自体が、えー、想定を超えるものであったとしても、そこで、もうあの、手立てが無くなってしまうということは、あってはならないわけです。で、津波は想定を超えたかもしれないけれども、えー、それの先の防備というか、防護対策が何重にも為されているべきであると、これが原子力の安全を守る原則です。

で、それが為されてなかったってことは、非常に残念だというふうに思っております。

それから、えー、二番目にですね、えー、あの、やはり、えー、あれだけの津波を想定できたかは別として、あの、ある程度新しい知見というのが出てきていて、あの、福島県沖においてもですね、あの、大きな地震が発生があり得るという知見が出てたわけですね。

それなのに、えー、それに対する対応が遅れたということについても、大変残念に思っております。

委員長 はい、ありがとうございます。それではその事故後の対応について、えー、ということで、えー、野村委員の方からお願い致します。

野村 あの、委員を務めさせていただいてます野村でございます。あの、今日は大変あの、貴重なご発言色々といただきましてありがとうございます。で、あの、今、事故後の話について少しお話を伺いたいんですが、その前に、ちょっと一点だけ、今の委員長とのやり取りの中でお伺いしたいことがあるんですけども、あの、えー、先ほどですと、やはりあの、役所の、まあ人たちの、まあその仕事の仕方についての問題点、あるいは事業者の方が本来一義的な責任を追うべきだということのご発言、あの、確かにその通りだと思うんですけれども、私がちょっとあの、承知しているところでは、あの、委員長自身もですね、かつてあの、発電機を2台設けるべきではないかということが、たとえば訴訟等で問題になった際にですね、あの、えー、そのようなことをやれば、そもそも原発の設計などはできないというようなことをですね、ご発言をされたり、あるいは国会でもそういうご発言をされたという記録が残っているやに思うんですが、そういうことはご記憶は無いでしょうか。

斑目 ええっと、発電機っていうのは多分ディーゼル発電機だと思いますが、ディーゼル発電機は、あの、複数台用意しなければいけない、これは安全指針類にも書いてあることなので、あの、多分ですね、あの、そうではなくて、あの、えー、ある程度設計において、えー、え、事象を想定します。で、想定して、あの、そこで一旦割り切る、これはあの、設計をする以上はやむをえないという発言をしていてございます。

たとえばですね、堤防を設計する時に、あの、どれだけの洪水まで考えなきゃいけないかという、それを想定しなければですね、物は作れません。ですから、物を作るためには、想定は必ず必要なんです。ただし、想定を超えた場合も考えておかなきゃいけない。そういう意味での割り切りは必要だとは言ってると思いますけれども、あの、それ以外はちょっと記憶にございません。

野村 分かりました。あの、えー、想定外のことを考えると言うことと、割り切りをするということはどういうふうなご関係になるんでしょうか。

斑目 あの、これはですね、えーと、defense in depth、多重防護と言っておりますけども、あの、何層にも何重にも深く守らなきゃいけない。ですから、物を設計する時にはある想定の下に設計する、だけれどもそれで満足しないで、今度はそれを越えた時のことについても考えておく。で、またさらに、えーそこの防護策を用意しておく。さらにそれを超えた場合にも、これを何重にもやっておく。これが多重防護、defense in depth ということでございます。

野村 あの、そういう意味では、安全委員会の方は、そういった意味での、あの、多重防護っていうんでしょうか、深層防護っていうのは、十分配慮されていたというお考えでよろしいですか。

斑目 いいえ、配慮されてません。国際的な水準から行きますと、あの、IAEAなどでは、あの、五重の防護という言い方をしてございます。えー、で、あの、えー、事象の、えー、発生防止、進展防止、それからあの、影響緩和。で、その三層までしか考えてございません。これに対して、IAEAなどではですね、さらにそこを超えて、えー、シビアアクシデントになった時の防護対策、さらには、最終的にはあの、防災対策と言いますか、あの、そういうところまで考えなさいよと言ってるところ、我が国の場合は三重のところで止めていた。えー、そういう反省がございます。

野村 ありがとうございます。ではあの、先ほど委員長から言いましたような、その、事故後の対応について、少しお伺いをしたいんですけれども、あの、班目委員長自身は、あの、ご自身があの、国会でですね、安全委員会の非常時体制というのはできていなかったというご発言を、ま、されてると思うんですけども、これはあの、具体的にどの点を指してそのように評価されておられるんでしょうか。

斑目 えーとですね、あの、たとえばですね、えー、発災後ただちにですね、原子力安全委員会は、あの、えー、緊急助言組織というのを立ち上げることになってございます。

で、緊急助言組織を立ち上げるために、あの、一斉携帯メールシステムを使って、あの、非常召集をかけたんです。で、あの、その召集は実は私自身のメール、あの、携帯にも届かなきゃいけないんですが、あの、鳴ったのはいいんだけど届かなかったんです。

で、結局、その、えー、こういう場合にこうするああするというということを色々決めておきながら、えー、そういうその、えー、携帯が通じない等々でですね、あの、決められた通りにはほとんど何もできない、えー、という状況でございました。

従って、あの、えー、もうそこは実は電話もなかなか通じなくてですね、あの、助言組織なかなか立ち上げられなかったんですが、あの、むしろあの、えー、自主的に歩いて集まってくださった(こと?)に助けられたという形なんですが、あの、そういう意味では、あの、こういう緊急時に対する想定というのは不十分であったというふうに、つくづく感じております。

野村 ありがとうございます。まああの、そうは言いながらも、あの、原子力災害対策特別措置法に基づいて、あの、委員長自身は、総理、まあその当時の災害対策本部長に対して、技術的な助言をされるというお役目を果たされたわけでありますけれども、この役目は実際果たされてみてですね、今になって思うと、もう少し助言すべき点があったんじゃないかということが、もしお気づきの点がありましたら、教えていただければと思います。

斑目 えーとですね、これはあの、えーと、当時の状況では非常に難しいと思います。というのはですね、あの、技術的な助言を、えー、与えるにあたってはですね、現状がどうなっているかという情報がないとできないんです。で、えーと、私が助言してた場所はですね、あの、10人入ればもう一杯になっちゃうような、しかも、固定電話が2回線しかなくて、携帯電話も通じない場所で、情報はほとんど入ってこないんです。で、そういう場で、えー、できる助言というのはもう限界だったんではないかと、自分自身では思っております。

で、ただですね、実際問題として、私あの、あの頃一週間以上ほとんど寝てませんので、記憶がほとんどすっ飛んでしまってます。で、どういう助言をしたのかというのも、正確には覚えてないという状況ですので、ちょっとあの、えーと、まだその辺は総括できてないというのが実情でございます。

野村 分かりました。あの、えーと、今おっしゃられたのは、官邸の5階におられたっていうことでよろしいですか。

斑目 いいえ。えーとですね、私は、あの、えー、ずうっとですね、少なくても11日の、えー、9時の時点から、夜の9時ですね、から、あの、ヘリコプターで飛び立つまでは、私の記憶では、官邸の地下にある危機管理センターの中2階という、あの、応接室、小さな応接室にいたと記憶してございます。

野村 ええと、その、ま、その中2階におられる、あるいはその後は5階に移られたということでよろしいですか。

斑目 えーとあの、えー、現地にヘリコプターで飛んで帰ってきて、一旦4号館(注:霞ヶ関の中央合同庁舎第4号館。原子力安全委員会がある)に帰ってますけども、そのあとは、あの、今度はむしろ5階の方におりました。

野村 その中2階ないしは5階で、様々なことが決定されたと思うんですけども、ご記憶のある限りで結構なんですが、えー、3月11日から12日午後にかけまして、そこで、ま、重要な決定として思い、あの、覚えておられることっていうのは、どんなことがありますでしょうか。

斑目 えーとですね、あの、先ほどもちょっと申しましたように、私はあの、本当にあの、記憶が、ほとんど生の形では残ってない。それであの、えーとその後ですね、色々な、たとえばあの、えー、政府事故調の報告書とか、東電の報告書とか、色んなの読んだり、あるいは安全委員会のほかの人と話したりで、だいぶ補いつつあって、えー、できてるので、あの、絶対こうだったという自信はございません。

が、あの、最も確からしいことで申しますと、えーと、まずはあの11日ですけれども、えー、2時えー、46分の、あの、はつ、えー、地震後、えーとですね、えー、5時半頃に官邸に向かってるとござい、思います。それでですね、あの、えーと、どうも、あの、えー、会議室の前で待っててもなかなか会議が始まらないなと言ったところにですね、えー、多分保安院の平岡次長か何かにちょっと助けてくださいと言って、一度呼ばれて、あの、総理のところへ行ってんじゃないかという気がします。

で、えー、そこにもう既にですね、東京電力の方が呼ばれていて、で、とにかく電源車を運んでほしいという話になっていて、これは電源の問題なんです、ということに既になっていたと思います。それからずうっと、今度はあの、えー、原子力災害対策、えー、本部が立ち上がるまで、またずーいぶん待たされて、で、それが終わったあと、一旦、その、私自身は安全委員会のある4号館の方に戻ってございます。

で、9時になってからですね、えー、再び是非来てくれということで、で、今度はあの、その、官邸地下の危機管理センターの中2階の方にこもったわけです。で、えー、そのときまでにはですね、えーと、今度はですね、そこで、あの、えー、いわゆる全交流電源喪失どころではなくて、あの、直流電源も無くなってるんだという事態を知って、で、えー、ちょっとその前からちょっとそう感じたんですけれども、こうなると、もう、あと、手は、あの、要するに、えー、圧力を下げて、で、消防自動車でも何でもいいから何か使って水をかけるしかもう手がないですよと、おー、で、あの、えー、東京電力の武黒フェロー(注:武黒一郎国債原子力開発株式会社社長、元東京電力副社長)が、そこにいらっしゃいましたので、んー、ま、武黒フェローと相談しながら、そういう助言をしたわけです。

あ、その前にですね、あの、非常にはっきり覚えてるのは、海江田大臣、当時の、えー、経済産業大臣ですが、から、あの、我々は、えー、東京電力という一プライベートカンパニーから、あの、ああしてくれこうしてくれ、自衛隊を使って何かやってくれと頼まれてもですね、政府決定できるわけないので、お前の口から、あの、色々助言を、えー、聞きたいんだというふうに、あの、言われたことだけは非常に鮮明に覚えております。

で、あの、それで、えー、もうこれは、あの、えー、圧力容器の圧を下げる、ということは、格納容器で今度は圧が上がってしまいますから、格納容器ベントというのをやらざるを得ない。格納容器ベントをするというのは、もちろん、あの、住民の避難がもう大前提になりますので、というようなことで、えー、格納容器ベントについての助言を行った。これは確かだろうと思います。

えーと、そのあと、えー、あの、えー、格納容器の圧が上がってますとか、色々あって、その、とにかくベントを急いでください、と言ったあと、えー、最後は、あの、ヘリコプターに乗るまで、えー、何を言ってたかとなると、あの、正確なところはほとんど覚えてないというのが実情です。

野村 ありがとうございます。あの、今、ベントの話が出てきたんですが、ベントについての技術的な説明を行われたのは委員長ご自身という理解でよろしいですか。

斑目 えーと、あの、多分私の口から、あの、ベントというのはこういうものですと、で、あの、ベントということでなんかあの、世の中に通ってしまってますけれども、これはあくまでも、格、あ、圧力容器の燃料に水を入れるのが、えー、目的ですので、えーと、そのためにはしかし、最終的には格納容器の圧を下げるためのベントをしなきゃいけない、ということで一生懸命そのへんの解説をしてただろうと思います。

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