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「津波被災地の支援について」西條剛央 × 岩上安身:インタビュー対談 Part2

活動の記録
「津波被災地の支援について」西條剛央 × 岩上安身:インタビュー対談(2)
●5:支援のあり方

岩上:今後どうやって復興させていったらよいかということですが、それを考える以前に、支援を行うためには現状を知る必要があると思います。支援物資が届いているところもあれば、そうでないところもあるでしょう。

西條:これだけ被災地が広範囲なので、物資が全部足りているはずはない。ボランティアも物資も余っているというのは幻想です。現地には、まずテレビが中継で入っているような有名な避難場所があります。その周りに小さな避難所、あるいは個人宅の避難民がいます。中心部には確かに物資やボランティアが集まっています。だから、愛知から物資を持って救援に駆けつけた人が追い返されたりしていました。それにかぎらず、「受け付けていない」という話は、かなりいろんなところで聞きました。実際、仙台市でも僕が行く前に「もう足りたのでいりません」というアナウンスを行っていました。でも、そんなわけないだろうと思いましたよ。何十万人も被災していて、家も全部なくなっている。それで物が足りるなんてことがあるのかと思った。行ってみてわかったのは、メジャーな避難所に物資があるのは確かですが、それが行き渡っていないということです。分配されてない。

岩上:被災地は非常に広域にまたがっていますから、交通機関もないような状態では細かく回っていくにも物資や人が届かない。100キロも縦断して見ていくと、じつは物資の行き届かない場所が相当あったということでしょうか?

西條:そうですね。テレビで見た人もいるでしょうが、この町(※南三陸町)は役所が被災し、町長が(一時的に)行方不明になっています。町長と何人かは、ぎりぎり建物の4階の上の鉄骨のアンテナにつかまって助かったそうです。一般の職員は助かったのですが、マネジメント層や中間層が全滅したことで行政機能が麻痺してしまっている。

岩上:自治機能が機能しなくなった。

西條:そうですね。たとえば、それほど大きくはない300人程度の人がいる避難所に行ったときのことです。そこは周囲の被災地の中心となる避難所でした。この程度の規模であれば、ここに荷物を下ろせば周囲に行き渡るだろうと思ったんですが、「受け付けていません」という。「じゃあ、こういう物資は足りているんですか? こういう物資はどうですか?」と尋ねると、「それは足りていない」という。「じゃあ、あった方がいいんじゃないですか」というと、「いや、仕分けられないからいらないです」。だから末端には物資が全然行き渡っていない。

南三陸町がまさにそうでした。瓦礫の中で見つけた、この写真に写っている「さかなのみうら」というお店の三浦さんという人が「ふんばろう、力を合わせてふんばろう」と書いていた。廃墟の中にこういうカラフルな看板があった。

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一緒に行った松前さんがこの三浦さんとたまたま知り合って、いろいろ話をしたら、「あそこの避難所に持っていっちゃだめだ。物が余ってるから」という。三浦さんは地元の名士で、顔の広い方のようで、物資が足りない避難所を案内して下さった。6ヶ所回りました。三浦さんの協力を得て少しずつ物を配りながら、「ここは何が足りないですか?」と尋ねていった。

岩上:なるほど。

西條:避難所自体が被災しているため、工場の中で暮らしていたりしました。ある初老の方は、おにぎりとおしんこしか食べられない日が続いていて、しかも中心となる避難所からは賞味期限が2日切れたおにぎりが回ってくる。だから「サバ缶を食べられておいしかった」と言ってるんですね。末端に物資が行き渡っていないにもかかわらず、中心の避難所は処理しきれないので、物資も人も追い返している。

だから末端にどうやって届けるか。ボランティアの気持ちの強い人は配給活動をしています。つまりボランティアが足りてないんじゃなくて、ボランティアを使う力がないために、中心でだぶついてるんです。だから末端にどうやって支援を届けるかが一番大事だと思い、その方法を必死に考えました。ある避難所のリーダーが「ボールペンがない」という。靴もない。そのときに初めて気づいたのですが、津波から命からがら逃げてるわけですから、着の身着のままなんです。

岩上:一足しかない靴も傷んでますよね。靴が駄目だと人間の行動は制約されてしまいます。

西條:だからいろいろ欲しいものを書いてもらいました。そこは男女が100人くらいで、普通の靴とサンダル、長靴という要望もありました。ですから物資を断っている場合ではないです。でも、それは行政が悪いというよりも回せないからどうしようもない。だったら民間の僕らができることをやるしかない。ちょっと前まではガソリンもなくて、郵便が届かなかったからできなかったようなことも、いまはある程度の復旧が進んで、うまくやれば支援できる方法があると思います。

●6:現地の声

西條:そういう形で配っていく先で聞いたのは、やっぱり地震の直後は相当大変だったという話です。助かった人でも、山の中に逃げたものの当日に大雪が降ったらしく、みんな道路の上で寒さに耐えていた。辛かったと言っていましたね。安否がわからないから山を越えて、何日後かに様子を見にいったりしたそうです。

それから、これはどこの小学校かわからないですけど、小3以下の子供を地震が治まった後に下校させたらしいんです。そうしたら全員が津波に飲み込まれてしまった。

岩上:ああ。

西條:まだメディアでは取り上げられていないけれど、現地の人は「きっと問題になると思う」と話していました。学校は学校なりの判断があったと思いますが、悲劇としかいいようがない。

そういう中で工場に行って、毛布でくるまって、ずっとしのぐという暮らしをしてきた。そういう人たちには、まだ充分なだけの物が行き渡っていない。ただ、必要最低限のものさえあればいいものだと思いがちですけど、そういう時期は過ぎています。20日以上余裕で過ぎてますから、大人にはお酒が、子供にはおもちゃがむちゃくちゃ喜ばれました。大人の目が輝くんですよ。ひれ酒が喜ばれると思って、香川のフグ料理屋さんから送っていただいて、それと一升瓶と一緒に渡しました。けれども、twitterでは災害時にお酒は駄目だというようなことも言われましたね。

岩上:不謹慎だということですね。

西條:「阪神大震災時にアルコール依存症になった人がいる」とも言うんですけど、僕が今回感じたのは、そういう識者の意見と現場とのギャップですね。確かに阪神大震災が参考になることもあるでしょう。けれども基本的には違うものだと思ったほうがいいです。規模が違いすぎます。阪神大震災も悲惨でしたが、ちょっと行けばある程度の店があって、買うことが出来た。けれどもこちらはガソリンも何もない。

岩上:阪神大震災では被災しなかった後背地があって、そこが拠点になって物資を送り出せた。それが支援にあたっての非常に大きな原動力になったわけですね。それに比べて東日本大震災というのは、あまりにも被災地が広域に渡っているのと、人口密集地ではないという問題があります。過疎地の被害が広域に渡っているのであれば、後背地からは手を差し伸べにくい。

西條:津波にやられた地域が500キロです。規模が違いすぎる。

岩上:そもそも、アルコール依存症になるほど酒量を持って行けませんからね。

西條:1本持って行くかどうかですからね。みんなで分けて、ちょっとひと口ずつ飲むくらいです。そういうことも奪う権利があるのかなと思うんですね。

岩上:よかれと思って言っている忠告なんでしょうけれど、それはあなたが現地に行って判断してみてください、ということですね。ギリギリの生存がかかっているときの一個のおにぎり、水が大事だというのは当然の話です。でも、それから復興に向けて生きていかなければならない。生活が始まる。その生活に必要なものは、最低限の必要な物資よりも、「二次的であるけれど必要なもの」です。そこには嗜好品もあるでしょう。衛生上の問題もあるから、水洗トイレでトイレットペーパーを使いたい。女性だったら生理もある。そういうことも絶対考えないといけない。女性だったら、贅沢品に思われがちだけど化粧品だって欲しいでしょ。

西條:本当にそうなんですよ。僕らも、手も荒れるだろうとか、化粧水とかも大量に持っていきましたけどね。やっぱり初めて手に入ったということで喜ばれました。

岩上:手荒れだけの問題じゃなく、希望をもたらすと思うんです。あるいは酒一杯のご機嫌だけではなく、忘れていた日常を思い出させる手がかりみたいなものになる。そういうものがないと、これからの長く苦しい復興の道のりを乗り切ろうという気が湧いてこないですよね。

西條:そうですよ。僕でさえやりきれなくて飲みたくなる。もっと大変で、一生懸命前を向いている人がひと時の安らぎを得てもいいじゃないですか。「煙草でもお酒でもいいんですよ、送りますから」と言うと、「あっ、いいんですか? なかなか言えないんですよね」という反応でした。言いづらいんですよ。でも、欲しくないわけがない。

煙草については、受動喫煙の問題について言う人もいますが、向こうの人はみんな狭いコミュニティで生きてきた人なんです。全員の名前を知っている。さっきの三浦さんに窓口になってもらって、いろいろ送ってるんですが、住所がわからなくても「あそこの魚の三浦さん」と言えば届く。そのくらいのコミュニティなんですよ。こっちの常識とはまるで違う人たちが同じところで寄り添って暮らしている。

岩上:煙草を吸ったらアレルギーになるとわかっているような人に向かって、「知ったことか」と言って煙を吹きかけるような人たちじゃないということですよね。

西條:そうそう、するわけがない。

岩上:お互いにわかっているから気遣いあうというか。

西條:それこそ村社会ですから、そういうところは気遣いあって一緒に頑張ってやってるわけです。そこを僕はもっと信じてもいいんじゃないかと思うんですよね。

化粧品だって、あればメイクするし、それだけでも張りが出るという女性の声を聞きました。人間ですから心があります。ただ生存していればいいというものじゃない。

岩上:そういう細部に人の尊厳の宿るところがあるのでしょうね。

西條:そうでしょうね。忘れがちですが。

岩上:大きな視点でものを見るのが大事だと思い過ぎてしまうと、人それぞれの生活の現実や人生の喜怒哀楽に配慮しなくなります。

西條:それは傲慢だと思います。僕らとは状況が違う。県民性も違うし、コミュニティの在り方も違う。だからそういうこともちゃんとわかったうえで提言をしないと、的を外してしまいます。

●7:支援の方法

岩上:物資の支援に関しては、いまの指摘は非常に貴重だと思います。流通機構で言えば卸市場に物は来ている。しかしそこからの小口の流通が全く機能していない。あるいは機能不十分であるというような状態。魚市場にたとえると、築地までは魚が来ているけれども個々の魚屋さんに届かない。ましてや消費者の口には届かないみたいな状態になっている。細やかな分配の機能をどうやって復活させていくか? そこにマンパワーをどうやって投入していくか? そのためのマネージメントをどうするか? という問題ですね。

西條:そこを考えました。僕はもともと質的研究や研究法の開発を行っていますが、今回は一事例からでも役立つ構造や仮説を立てて、どんどん対策を生みだしていきました。昼は支援を行って現状を見定め、夜に帰ってきて21時くらいから方法論化し、現場で学んだノウハウをみんなが使えるように考えました。

岩上:それはどうやってやったらいいんですか?

西條:まず、現地の人にネットをやらせようという発想は機能しません。

岩上:なるほど。

西條:ネットが繋がっているところは幸せなところです。実際には、繋がっていても使えないんです。うちの父もそうですが、やらせようと思ったってできないんですよ。どうしたらいいかわからない人が多い。避難所の本部にもパソコンを使える人がいなかったくらいですから、やっぱりアナログで入らなきゃいけない。だから、三浦さんに案内してもらったわけです。

あとはやっぱり地元意識があるので、三浦さんが一人いるだけで向こうは安心して全部受け入れてくれます。いろんなことを話してくれましたが、もし地元の人がいなかったら大変だったと思います。

岩上:入れないですよね。地元の社会的な信用が必要でしょう。

西條:それから、土地勘のある人と繋がることも大事です。田舎の人は普通に話しかけます。ですから、情報は現場にあって、ネットにはないと思ったほうがいいです。できるだけ現場に行って、その場で聞いて、「良ければ持っていってください」みたいなかたちで「支援しに来たんですけど」と言って、必要なものを必要な分だけ渡す。それをきっかけに、「この辺ってどうなんですか?」みたいな感じで話して、「物が行ってないところに届けたいんですけど」と言えば、「あの辺とかあの辺とか個人宅がいっぱい。個人の中にいくつかの家庭が寄り添って暮らしている」といった話を聞き出せます。

岩上:支援をする側からすれば、大規模な避難所に物を持っていくのが一番効率的なやり方だろうと考えがちなんですよね。

西條:みんなそれをやって追い返されちゃう。もったいない。

岩上:でもそこへ持っていくのは、多くの人に対して最も公平に物資を分配する方法だと思いがちだからでしょう。

西條:それは平時の発想なんですよ。

岩上:つまり分散するための流通のネットワークが機能しているときの発想だということですね。私たちは流通が機能していないという現実を体感として理解できない。だから、つい中堅のステーションに物資を持って行きがちですけども、そうではなく個々人の家庭に持っていくのがいい。しかし、その個々人の家庭に持っていく発想を何が邪魔するかというと、おそらく公平とか平等にやろうとする発想じゃないかと思うんです。

たとえば、自分が縁のあった土地が南三陸町だったとします。それで南三陸町の中の集落のごく一部にしか西條さんは分配できなかったとすると、南側には配れたのに北側の人には配れなかった、自分は不公平な配り方をしてしまったんじゃないか、何十軒の具体的な人に配ることはできたけども、ステーションに持っていけばもっと均等に、公平に配れたんじゃないか。そういう考え方をしがちなのではないでしょうか。

西條:なるほど。

岩上:そういうことが、中央のステーションに持っていきたくなるひとつの要因ではないかと思うんです。局所的な助け方だっていいじゃないか、自分は公平とか平等に分配することは出来ないんだ、という諦めもすごく大事なんじゃないかと。

西條:僕は最初からそういう感じでした。人が人に支援するのが基本です。三浦さんを介してそういうことを言ってきて、三浦さんの連絡先やいろいろ話も聞いて、僕らが荷物を三浦さんに届け、三浦さんは個々人に届ける。「じゃ、一緒に頑張りましょう」と話しました。

みんな、本当は何かしたいんですよ。したいけどできない。僕もそうでしたけど、やっぱり無力感、やり切れない気持ちを抱えてるわけです。それで、絶対に集めて届けるという思いで「ふんばれ南三陸」を合言葉にサイトを立ち上げた。これは翌日の午前中には立ち上げました。そこで、僕らがやったことを方法化していった。

岩上:なるほど。

西條:僕らには土地勘があったので、ある程度共通の知り合いの名前を出せば、「あ、あの人ね」と話が通じて、それだけでネットワークがかなり繋がりました。やっぱりそういう人がひとりいるだけで全然違います。

岩上:お互いの名前と顔を知っている、というアナログの繋がりを頼っていくということですね。

西條:だから被災地には、チームで行った方がいいと思います。できれば男性中心のチーム。3、4人いる中に女性が一人ぐらいいるのはいいと思うんですけど、あまり女性中心じゃないほうがいいのは間違いないですね。

岩上:女性中心であることの問題というのは、多様な意味に解釈できますが、具体的にはどういう危険があるのですか?

西條:僕はデマだと思っていますし、実際に政府もデマだと言ってますが、殺人事件が起きているという話もありますから、やはり身辺の注意は必要だと思います。

岩上:つまり支援にいった女性が何らかの形で、もしかしたらこういう治安も崩壊しているときだから、犯罪に巻き込まれるかもしれないと。

西條:気をつけたほうがいいとは言えるでしょう。でも、そんなに恐れすぎることもないと思います。僕が見たかぎりでは、泣いている人もいなかった。そういう時期もあったと思うし、もう20日以上経っていたからというのもあると思いますが、みんな前を向いていた。

当たり前のことですが、どこにでも悪い人はいます。警察機能がないところには、どこにでもいます。しかし被災地だけの問題ではない。被災地だから心が荒れているというのは、違うと思います。むしろ、こちらが向こうに勇気づけられていますからね。

岩上:逆に、被災地だからみんな心が澄んでいるという言い方もおかしい。正しい人もまじめな人もそうでない人も、どんな人も入交じっているところで社会はあるわけです。

西條:それだけのことです。

岩上:ただ、自警をする必要はあるということですね。

西條:その意識は持っていったほうがいいですね。あとは、社会人中心にする。学生だけというのは、今回の場合は機能しないかもしれない。社会人力が必要です。人の中に入り込んでいる人。たとえば「お酒どうぞ」というひと言、それだけで「おー!」という歓声が上がる。それから、向こうの人に信頼されるかどうかにおいて、やはり風貌も関わってきます。

岩上:社会人として、パブリックな場での経験をしてきた人。赤提灯で人の心を緩めながら、人情の機微に通じる経験を重ねてきたような人。体力はなくても、意外に中年の人たちは頼りになるかもしれないですね。

西條:そうですね。

岩上:そういう人と若者のセットで、力仕事は若者がサポートしてくれる。

西條:多様な人材が揃っていたほうがいいです。

岩上:女性が駄目ということではなくて、人の中に入っていく力は男よりも女性の方がある場合もありますね。

西條:3人中ひとりとか4人中ひとりぐらいならいたほうがいい。要するに多様な人を揃える。僕の場合も松前さんという、どんどん人とつながれる人がいた。父も宮城県全域を知っている人なので、道が落ちていてもナビを一切使わない。「ここが落ちていたら向こうから行こう」という土地勘がある。向こうに知り合いもいます。訛っているということも大事で、余所者じゃないという感じになる。僕も途中からそれに気づいて、東北弁にシフトしました(笑)。

岩上:仙台出身ですからね。

西條:しゃべっていると戻って来る。その方がうまくいくんですね。

それから、北川さんはシステマのインストラクターなので、さっきの話でいうと襲撃とか、そういうことがあったとしても北川さんがいたら大丈夫かなと(笑)。そういう安心感がありました。

最初は大きなバンを借りて、北川さんとふたりで行くことになったのですが、ふたりともペーパードライバーなんです。原発よりも地震よりも、首都高が怖い(笑)。運転したことがないから死ぬかもしれない。

運転できる人がちゃんといたほうがいいとは思いましたが、前日に電話して「明日行かない?」といって来れる社会人はなかなかいないですよね。そのときに松前さんが「僕が行く」とおっしゃってくれた。「これで万が一のことがあったら、僕は後悔するから」といって運転してくれました。

岩上:多様な人がチームを組んだ。若い女性がいたり。こういっては失礼ですが、「おばちゃん」という感じのコミュニティの中にすっと溶け込むような人がいてもいいですね。被災者の半分は女性で、女性にしか言えない悩みもあるでしょうから、その聞き出しも大事でしょう。

西條:そうですね。あとは学生がそういうことに混ざるのもいいと思います。というのも、数は多くないけれどじつはキーパーソンは若者なんです。メールやパソコンができるのは若者です。雄勝町だったか、高校生を窓口にしました。行政を介するとああだこうだとなるので、まず人とつながろうと思った。そこにはひれ酒を持っていって、一気に打ち解けたんですけど、窓口を決めようと思って、その若者とメールを交換しました。「君がここの人に何が欲しいか聞いて、それを僕にメールしてくれ、それを全部揃えて送るから」と。「こういうサイトを立ち上げてアップする。それを僕がtwitterで流す」というふうに話し合って、それで急激にレポートしていたら、僕はいまフォロワーが6000人くらいいますが、RT(リツィート)の多さが2位とかになって、それが何十回もあるぐらい広がっていった。

岩上:アナログが必要だというのは、その通りだと思います。取材では現場に行き、当事者に話を聞かないといけない。実践しないといけないから実感としてわかります。しかし同時に、それだけだと一律に情報が載っているもの、一覧できるような掲示板が機能しない。だからネットやソーシャルメディアを介したネットワークと、アナログの行動力をタイアップすれば、非常に有効でしょう。

西條:そうですね。組み合わせです。デジタルだけだと届かない。アナログだけだと限界がある。僕らが運べるのは車一台分ですから。ところがtwitterで発信すると、全国から24時間で欲しいものがアップされました。twitterのリンク先に「ここを見て下さい」としておいて、満たされたものについては線を引いていけばいい。必要以上に物が行くことはない。必要なものが必要としている人に必要な分だけ届く。郵送のシステムもようやく回復してきたので、そういうものが重なってできるようになった。それも先週末のことで、それほど前のことではない。いまそういうやり方をしていて、さらにいろんな地域に拡張しようとしています。要はつながりさえできれば、全国から欲しいものを送ることができるということ。そしてこのときのポイントは、行政を介さないことです。実家にものを送るのと一緒ですね。

岩上:実家に支援物資を送るのに、わざわざ県や東京や国にあげたりしませんよね。自分が届けたいという思いと、方法論を使って届けるのが現実的。

西條:ドラッカーも言っていますが、組織は階層が増えれば増えるほど機能が低下しますから、こういうときはとくに時間が大事です。直接的な支援が必要だから、いまはこういう方法を拡張するための方法論をまとめています。いろんな協力者がいて、サイトでも携帯から「これが何個」とか、各避難所で必要なものがわかりさえすれば登録できるシステムをつくっています。ボランティアも募集してどんどん動いていますが、現地に行って物を置いてくるだけじゃなく、ビラも配ってもらう。こういうものが届きますよと。そうすれば欲しいものが欲しいだけ届く。堅苦しいことは何もいらない。必ず来るかどうかはわからないけれど、たとえば洗濯機でもいい。

岩上:言うだけ言ってみる。

西條:お酒でもコーヒーでもいいんです。それが広まっていけば、近所の人にも教えてもらえるかもしれない。イラストレーターにもビラをつくってもらっていますが、それが広まることで公平になる。いまは真ん中にしか物資が集まらないから、かえって不公平になっている。

けれどもその一方で、いろいろ回ってわかったのは、やはりなんだかんだ言って行政を通すと便利だなということです。トップから指示がいきますから。ボトムアップの方には変えられない。要望を出しても「いや、上が」と進まない。県民性は保守的なんです。宮城県だと新しいことをやりたがらない。

岩上:前例があるかどうか、できるだけ慎重にやる。横を見て後ろを見てからやろうとなる。

西條:そういう感じです。善い悪いじゃなく、そうして生きてきたから、仕方ないといえば仕方ない。でもやはり文化としては尊重できても、仕分けられないから断るというのでは、末端にいる人がかわいそうです。

個別の支援システムも広がっていけるけれど、やはり行政は大事です。僕は岩手県一関市の市長にtwitterで「お願いします」と言いました。応えてくれると信じていますが、地元の有志が上から働きかけたら、こういうシステムはどう考えても便利です。必要なものが必要なだけ届くわけですから。しかも、こういうときだとお金がかからない。送ったほうも送れてよかったと思う。一関市は行政が間違えて弁当が5000食廃棄されたこともありましたが、そういうこともなく確実にその避難民に届く。

岩上:確かに5000食は多いと思いますが、ただ、よかれと思ってもマッチングがうまくいかないことはあると思います。そういうことに対して、無駄だ、許せない、との声を上げる人が多すぎる面もありますね。一定程度の無駄は平時でも起きている。被災しているから機能しないということもあるので、無駄なことが起きてもokだという気持ちに支援者がなれないと、そういうことを非難されたくないために断る、「もらったけれど、全部行き届きませんでした。指導しています」というふうに好意を無駄にしたくないから断る、ということが受け取る側にはありえるかもしれない。だから、無駄が生じてもいいくらいの大きな心でやらないといけないとも思います。平時ではないのだから、雑になるのは仕方ない。

西條:それは重要だと思います。役所の方は「一個でも多く来たらどうするんですか」というのですが、それが問題ですか? と思うんです。ちょっとぐらい多くてもいいじゃないかと。でも役所としては、正確じゃないと駄目だという考えが染みついている。だからこそ個別支援システムのほうがいいとも言えるのですが、やはり効率を考えれば知事や市議会議員のほうからもやりなさいと言ってほしい。電話番号と、こういうものがあるというビラを渡せばいいだけです。そこまでできたら、あとはそれぞれがやればいい。避難所のリーダーが聞いて、サイトにアップする。どんどん送られるほど数が減って、ゼロになったらおしまいだから、たくさん来すぎることもない。個人避難宅やケアしきれないところでも、ボランティアがビラを渡して、その地域の必要なものとしてまとめてアップする。どう考えてもこのシステムを導入しない手はないです。ぜひやってほしい。

●8:その先の支援

西條:もうひとつ案があります。いままでの話は現時点での支援物資に関することですが、それと同じぐらい大事なのは、今後この人たちは生きていかないといけないということです。すべてを失っている人が生きていくことに、まだ現地の人もピンときていないかなと思いますが、すべてを買わないといけない。仮設住宅があれば暮らしていけるわけじゃない。電化製品も必要。それに、向こうは車やバイクがないと生きていけない。それをみんな買わないといけない。でも、お金がないのにどうやって買うのか。

人間は忘れていく生き物ですから、震災のことも必ず忘れていく。でも、いまは忘れていない。意識が高い。だから支援システムで必要な電化製品の個数を挙げていって、いま送る。地元の有志に預かってもらうというつながりもあると思うから、ストックしてもらう。いまだったら無料で送ってもらえる。もしくは贈呈契約をして、とりあえず家に置いておいてもらって、仮設住宅がに入った時点で送ってもらう。これはいまやることが大事です。半年後になれば1/10になっていると思います。

岩上:意識は一定の高まりの時期があって、それが過ぎると支援疲れもあるし慣れていく。情報も刺激だから、だんだん慣れていくと心も動かなくなる。それに自分自身の課題もある。人のことだけではなく、自分のことを考えないといけない。

西條:かつて阪神大震災の後にサリン事件が起きて、関心が一気にそちらへ移ってしまったという悲劇があります。中東で戦争が起きたら、東北のことだって忘れてしまう。そうならないために復興のための準備もいましてあげる。そのためのシステムとしても使えます。仮設住宅ができたらすぐに生活が始められる。それがあるのとないのとでは、全然希望が違う。そこも含めてやっていく。

もうひとつ言うと、義援金で赤十字には600億集まっているそうです。でもぼくは赤十字にはどうしても送る気になれなかった。どう使われるのかが目に見えないというのもあるし、あまりに大河の一滴で、600億のうちの10万円を送って何になるのかと思ってしまう。そう思っている人はけっこういると思います。

このシステムだと、義援金もコミュニティごとに立ち上げることができます。自分の縁があった地域、ボランティアに行った先の「この人たち」に幸せになってほしい、そういうバックアップしたい気持ちがかなり起きるし、トータルでいったら大きく変わってくる。このような顔の見える義援金の集め方が必要だと思います。

たとえば、仙台市にはいっぱい義援金が集まります。でも、これも仕方ないことかもしれませんが、全体から見たらそれほど壊滅的ではない被害を受けた地区にお金を配るのはおかしいという話もある。そういうことになるよりは、自分の目で惨状を見て、この人たちには何もない、だったら自分は送りたい。そういうシステムのほうがいいと思います。それが僕らの作った「ふんばろう東日本支援プロジェクト」です。

●9:人のつながり

岩上:今回、西條さんにお話をうかがおうと思ったのは、僕のサポートをしてくれている名古屋の榊原さんからご紹介いただいたのがきっかけなんです。西條さんという方ががんばっていると聞いて、それではお話をうかがいましょうと。こういう人的なネットワークでつながった。

西條:サイトにもそういう有志が集まってます。この人は信頼できるという人に声をかけて、それが電通の人だったり、いろんな才能を持っている人が集まってくれて、つながっていく。

岩上:そのつながり方も、非常にアナログな付き合いもありますが、同時にスタートは何かというと、twitterがきっかけだったりするわけです。榊原さんとのご縁もtwitterでフォローしていただいたことですから、そうした縁がきっかけになっている。

冒頭で、ネットは無力だと仰っていたけれども、確かに全員に均質な情報が行き渡るかという意味ではけっして有効ではない。そのコミュニティの漁師さんはネットを見ていないかもしれない。でも、近いところにいる若者がtwitterを知っているかもしれない。そのように、コミュニティの入り口には誰かしらになってもらえるかもしれない。そこをつかめば縁が広がる。

twitterにかぎらずネットで面白いのは、まったく会っていないのに、僕がずっと発信し続けているのを見てもらうことで非常に近しく感じてくれるということですね。本来、信用を築くには時間がかかります。でも非常に離れて暮らしているのに、お互いにフォローしあうことで比較的早く信用を築ける。人間の関係性は社会的資本としても重要です。

西條:田舎はそれで生きているようなものですから。契約社会ではなく信頼の社会。

岩上:アナログな社会における信用の人的資本。それとtwitterやfacebookのようなソーシャルネットワークで作り上げる信頼のネットワークがうまく噛み合っていけば、中央から放射状に広がっていく関係性とは別に、縦横斜めに網の目を作っていくような関係性ができる。その中でみんなができることをできる範囲でやればいい。

西條:本当にそうだと思います。結局みんな、やりたいから、支援したいからやっているわけで、でもそれをうまく回せる仕組みがなかった。僕らがやってみて、これだったらうまくいくという感触を得たので、明日(※4/6)には公式に駆動します。みんながんばってくれている。

岩上:それはいま言ったサイトがランクアップするということですか?

西條:今までは、「ふんばろう南三陸+石巻雄勝プロジェクト」ということで、そこの支援モデルを作っていました。それがうまく機能することがわかった。みんな本当に喜んでくれました。それをもっと拡大して、いろんな人が使えるようにする、それを広めていくということです。

いろんなところから連絡がきます。石巻にいますとか、さっそく三人でチームを組んで行きますとか。いろんな支援表明が出てきています。

岩上:それは元々のスタートとして、西條さんが宮城県仙台出身で、まずは宮城のことを、という関心があったわけですよね。けれども岩手や青森、福島、茨城に縁のある方もいるわけで、そういう人は固有のネットワークを、このモデルを借用しながらどんどん作っていけばいいわけですよね。お互いに協力関係になっていけば早い。西條さんひとりに問い合わせが殺到したらパンクしちゃうし、うまく知恵を借用してもらいながらネットワーク化するほうが早い。

西條:フォーマットをだいたい作れたので、僕らと南三陸町のそのフォーマットを利用して、それぞれがどんどんやってもらえればいい。自分が窓口になってアップする。それだけです。twitterに上げて、発信する。自分にフォロワーがそんなにいなければ、有名な人にお願いすれば広がりますから。

岩上:有名ではないですが、僕にできることがあれば言っていただければやります。

西條:そういうラインがいっぱいできればいいと思います。被災の対象は東日本全部ですから、茨城や千葉でも家を失ったような大変な人がいる。そういう人を支援するための仕組みです。

岩上:九州や西日本にいる人でも、やきもきしていたような、たとえば昔東北で働いた縁があるから応援したいけど、手がかりがないと思っていたような人も使える。空間が関係ないですから。

西條:全国から後方支援ができます。

岩上:後方支援と最前線の作業との共同関係の作り方ですね。

西條:まさにそうです。両方の思いをうまくリンクさせる。被災地に行けば偉いというわけではなくて、行く人は行きたくて行くわけです。実際、行く人は増えていくでしょう。行きたいという思いがいままでかなえられなかったけど、行ったら一人分は必ず貢献できる。その確信があれば、行きたい人は行くと思います。そういう人が切り開いて、ビラとかを配ってこういう存在を知ってもらえれば、被災した人それぞれが依頼できるようになる。そうやって開拓できる人と後方から支援できる人のどちらも必要です。

岩上:前線に行ける人は、いろいろ条件が揃っていないと行けないでしょう。

西條:そんな人は滅多にいないですよ。

岩上:時間が取れたとか、行くだけの体力があるとか。

西條:家族の許可がいるとか。多いのは、小さいお子さんのいる母親で、行きたいけれど行けない。それが心苦しいという話です。僕もずっと行けなかったから分かります。でも、そういう人の気持ちも届く。

それによって、行政も楽になるはずなんです。物資が他のところから回るので、行政はその他の自分たちのやるべきことに力を注げると思う。

岩上:言い方を変えると、みんなの横の連携のネットワークが非常に活性化されて基本を満たしたところで、行政はサブにまわって見渡して、行政が行かないと届かないところに重点化する。民間では入っていけない、たとえば自衛隊でないと無理な地域があって、被災者を救い出さないといけないようなときは、行政の圧倒的なパワーをもって入っていってもらうとか。そういうところに特化すればいいわけですよね。

西條:個別の支援はミクロな線の集合体みたいな形でネットワークで出来ますが、やはり大規模な作業は個人ができるものではない。そういうのは行政がどんどんやる。そのためには「前例がないから」で断るのではなく、せめて最初の段階としてそのシステムを告知することだけはやってほしい。行政の役割は人を幸せにすることであって、型通り行うことが目的ではないはずです。

確かに、安定時においては型通りに行うことが機能しますが、今回のように機能しない状況であれば、民間からのアイディアであっても広める。それがみんなのためになるのであれば採用しようという決断をしてほしいですね。

政治家からも働きかけてほしいです。僕らが行政に働きかけることには限界があります。とにかく民間の支援システムと行政が働けば、かなりうまく行くのではないかと思います。繰り返しますが、それによって国の財政負担も軽くなると思います。

岩上:結果としてそうなるでしょうね。

西條:国じゃなければできないことというのは、たとえばさっき言った流線型の建物を海に向かって建てるとか、そういったことです。

岩上:残された資源を集中し、特化していくということですね。

西條:雇用もそうです。支援するだけじゃなく、働いて収入が得られるような仕組み作りをしてほしい。

東北は、東京にいる人にはちょっと信じられないぐらい景気が悪いんです。でもその人たちにとって救いは何だったかというと、家です。持ち家があるから家賃がかからない。家があれば年金で何とかやっていける。その家がなくなって、家賃を取られて職もないのでは生きてけないです。そういうことも考えた上で、今後の政策を考えてほしい。

岩上:僕はこの機会に政治的なことをバイアスかけて言うつもりはさらさらないんだけど、菅政権がここまで行ってきた、きわめて新自由主義的な政策のあり方は全面的に見直す必要があるでしょう。民主党が勝利したときには地域主権といったスローガンを唱えていたけれども、それがどんどん削られてきている。財政再建を名目に、地域への交付金を含めた分配を絞っている。公共事業も公共投資も削る方向ですけど、財政の出動なくして復興なんて絶対に不可能なわけです。

西條:不可能ですね。

岩上:財政再建以前に、日本を再建する。国民の生活を再建しなきゃいけない。再建できるという見込みがなければ、誰もそこに再投資しないでしょう。そうしないと民間の資本が戻ってこない。そうなれば、家を建て直したけれど仕事がない、住み慣れた地から離れて都会に逃げるしかない、といったことになりかねない。

西條:やはり希望が必要です。行政を介さず、全国から物資が送られることは嬉しいはずです。顔が見えるから送る方も嬉しいし、送られる方も嬉しい。だから本当に、こういう希望に満ちた試みが広がっていってくれたらと思います。

ここまで大きな災害というのは、先進国が初めて受けたものだと思います。ここから学ばなければいけないことがいっぱいあって、それは今後他の国も被るかもしれないだけに、将来の防災モデルになると思います。

もし今後、他の地区で何か起きても、行政の中にこのやり方がインストールされていれば、タイミングを見てすぐにシステムを駆動させることができますよね。他の国にもアイディアをあげられるかもしれない。

あまりにも悲惨すぎて、こういう出来事を肯定することはできませんが、だからこそ僕らにやれることは、「あの悲劇が、あれほどの悲しみがあったから、今僕らは世界に誇れる国になれたんだ」と思えるように、いま出来ることをするだけだと思うんですよね。だから僕は、今回の出来事が起こって、自分にできることはすべてやろうと決めたんです。

じつのところ、いままでは鬱陶しいことが起きそうだと思ってtwitterも真面目には使っていなかった。けれども、もうメールも晒して何でもやろうと思いました。そういう覚悟でいろいろ発信していったら、南三陸町に行った翌朝から、いきなり1000人単位でフォロワーが増えた。発信力を持ってきたから、同時にサイトを作って、個別支援を方法化して、みんなが参考にできるようにしたいと思ったんです。

●10:役割

岩上:僕自身も実感してることですが、こういうことが起きると、物理的な被災をしている人だけでなく、精神的な被災というか動揺をしている人がたくさんいて、複合的な不安が渦巻いている。地震があり津波があり、原発の事故があり、それに加えて経済的社会的な不安もある。

うちの事務所にも子供を抱えてるお母さんが働いているのですが、自分の子供を避難させることが優先になるから仕事はできないという。そりゃそうだと思います。だから、いま僕にはマネージャーがいないし、被災の物資をどう届けるかというのは僕自身の課題になっている。ところが「人手がほしい」とつぶやいたら、たくさんの人が「手伝います」と言ってくださった。コアの人間がいない状態で、ustreamの中継を手伝うと申し出てくれる人たちが現れた。

だから、西條さんが被災地に足を運んで、同時に後方支援と最前線を繋げようとする営みは、情報を伝えようという意味で僕と重なりあうところがあると思ったし、すごく参考になります。物資を届けることと情報の行き交いは常に重なりあってますよね。

西條:そうですね。

岩上:支援を物理的に届ける人にとって情報が生命線というのは当たり前ですが、ジャーナリストは「自分には情報だけあればいいんだ」と思いがちなんです。でも誰がそう決めたんだと思う。西條さんの言う通り、平時においては役割の制限があると思います。そのリミッターを非常時には外していいのではないかと思います。自分が一人の人間としてやれること、やらなきゃいけないと感じるやりたいことは全部やればいい。

西條:本当にそうですね。

岩上:ジャーナリストは当事者として関わって物を届けちゃいけないと思う人もいるかもしれないけれど、情報を持って、同時に支援等の活動とリンクさせてしまいたいと思ってます。

西條:それは本当に素晴らしいと思います。ジャーナリストも一人の人間ですから。僕もたぶんもう一度現地に行くと思いますが、そのときもただ行くのではなくて、一人の人間として物資を届けることも一緒にやる。それは本当に大事なことだと思います。

自分の専門の話になってしまいますが、僕は「構造構成主義」というメタ理論を作っているんです。そこで言うのは、「方法」とは何か? といったときに、方法の有効性というのは目的と状況の関係において決まるんです。つまり、「何をするか」という目的によって「どうすればいいか」という方法が決まるし、状況が変われば今まで有効だった方法も有効ではなくなる。状況が変わったらやり方もすぐに変えなければいけない。

岩上:そうですね。

西條:それに目的自体も変わりますから、復興にモードが移ればまた違うことをやらなければいけない。

僕がボランティアの方に発信しているのは、「自分で考える」ということです。その場で情報を集めて、目的があれば、「次にどうしたらいいのか」というのは自分で考えられます。他のものは取っ払う。そういう力がないと、型通りのことは何も通用しないんです。だって道が急になくなってたりするわけですからね。そういう心構えで、利用できるものは全部利用して、できることは全部する。リミッターを外した人の力は何倍にもなる。無力感というか、傷ついた上に何もできないなんて、これほどつらいことはないですよ。

岩上:西條さんは心理学を専門としているからよくご存じだと思いますが、阪神大震災のときに、本来だったら鬱になる人がたくさん出てくるはずだったのが、実際には比較的精神の健康を保つことができた。その理由に、みんながそれぞれのロールモデルを演じられたということがある。身体を動かせるから片付ける作業を何でも手伝う。行政書士だったら、いろいろな手続きの申請を手伝う。被災地にいる人でも、自分が被災しながらも人を助けることで、じつはその人自身の心の健康を保てたという話がずいぶん報告されていたと思うんです。

今回はあまりにも広域にわたって多くの人がダメージを受けていますが、自分のできることを何でもいいからやってみようという中で、もしかすると僕ら自身が再生できたり、回復したりするかもしれないですよね。

西條:本当にそうだと思います。誰でも「生きたいように生きたい」というのが原理だと思うので、「助けたいのに助けられない」というのはすごくストレスになります。

僕は、ボランティアはどんどん現地に行くべきだと思っています。数が圧倒的に足りない上に、あまりにも広域だからです。今のところ数が足りているということはないでしょう。ただ、「現地に行った人が偉い、行かない人は駄目だ」という風潮になるのは違います。

「人に迷惑をかけなければ、自由に生きたいように生きていい」ということが社会の共有されるべき原理ですが、それは特定の価値観に偏ると忘れられがちになってしまう。ボランティアをしてない人を責めるようになると、それはそれでまた違う傷つきみたいなことを起こすでしょう。自分はやりたいからやっている、自分ができる範囲でやりたいことをやる。それでいいですよね。

岩上:その人その人の人生がありますから。

西條:みんなが募金すべきだといっても、本当にカツカツでやってる人はできないですよね。

岩上:極端なことを言うと、告白したい女の子がいて、自分は恋に夢中だと、でも誰かが「その恋を忘れてでも何か献身しなきゃいけない」なんていうことを言い始めたらそれはお門違いもいいところ。今ここでそれぞれの切実な喜怒哀楽の人生の営みがあるわけですから、享楽的だと言われたって何だって、それを大事にすることはやっぱり大事ですよ。

西條:本当にそうです。幸せに生きるってことがいちばん大事です。身近な人も大切にしていかないと本末転倒です。

岩上:犠牲こそ重要というふうになってしまうと、何のための貢献、何のための支援かという話になる。西條さんには身内や友人、親戚の安否をこの目で確かめなければ本当にいたたまれないという切実さがあったわけですよね。その切実さがある人とない人、その濃淡だってそれぞれに違うわけです。

西條:そうです。

岩上:地震の直後なんて、誰かいちばん愛する人のところに行きたいと思うのは当たり前のことで、いちばん大切にしたい人のそばに行こうと思うものですよ。もし行きたいところが複数あったら、その中でも最も思いの濃いところに行くことになるわけです。

あのとき、生命の危機をみんな実感したんだと思います。死に場所が複数あるわけじゃないですから、そこで命を落としてもいいと思える場所に人はやはり足を運びたいと思うんですよ。

西條:僕は15日に静岡で地震が起きたときがいちばん戦慄しましたね。次の日は秋田大学で講演があって、チャリティ講演として行ったんですけど、いろんな情報が飛び交って混乱していた。何をどう決めていいかわからない。今までこんなに難しかったことはないと思いました。そこでも結局、最後は自分がどう生きるかだなと思ったんですよ。

岩上:うん、本当にそうですね。

西條:「疎開した方がいい」とか「すべきでない」とかいう話でもいろんな意見があって、僕はすべき人はしていいと思います。じゃあ自分はどうだとなったら、仙台に行くのも今の時点では違う。行っても何もできないし、貢献ができないなら東京にとどまって、記事を書いたり支援できることをする。そういうことをやろうと決めました。それはもう生き方の問題になってきます。

岩上:それぞれの持てる力の出し方があります。被災現場の瓦礫の山に行ってこそ力を発揮できる方もいると思います。僕らや西條さんよりもずっと余力があって、瓦礫を力ずくで取り除くことができる人がそこにいてくれたら大変頼もしい。

情報を繋げることは大したことではないかもしれませんが、大きな声を出して少しでも呼びかけて、人と人、あるいは情報と情報を結びつけていく上でなら、僕も少しは貢献できるかもしれない。それ以外でも義援金を出すとか、ごく身近な人に具体的に手を差し伸べる程度のことはできると思います。

西條:それから、こういう災害時だと女性が活躍できないみたいに思われがちですけど、そうじゃないと思います。子供のことを考えたら、放射能が心配で西に疎開する選択はいいと思います。だから、それを「逃げる」と言うのは違うと思います。役割分担が違うだけですから。

今のところ僕は、東京に関しては放射能がどうかというよりも、ストレスの方がよっぽど害を与えてると思います。不安になってストレスを抱えている状態がいいわけない。そういう人が移動するのは自然なことですし、同じ意味で、今は子育てがあって動けませんという女性がいると思うんですけど、僕はそれも重要な役割だと思うんですね。

岩上:その役割というのも固定的なものではない。疎開したい人もしない人もいていいと思う。原発の立地に近いところで子育てをしなきゃならない事情の人もいるけど、その人を責めることがあってはならない。みんなそれぞれの様々な事情があるから、限定的であっても、その中で出来る貢献ならばいいと思います。

西條:「人は生きたいように生きたい」と言うと、そこは誰でも頷くじゃないですか。そういう誰にでも当てはまるような原理、「人に迷惑をかけなければ基本的にはどういう生き方をしてもいいんだ」という原理みたいなものを共有した上で、その上で自分はどうするのか。こういう考え方をフォーマットとしてみんなが持っておかないと、あるいは「その時の社会に必要とされていることをやる人が正しい」みたいになってくると、「正しさ」という言葉に当てはまらない人を否定することになります。

岩上:そうですね。ルールを一元的なものだと考えるのはよくないですね。

西條:そうです。僕も、「広くわかりあうための疎開論」という記事を書いたんですけど、たとえば内田樹先生は「疎開した方がいい」と言う。ホリエモンさんは「東京に残るべきだ」。東浩紀さんは「いや、それはいろいろあっていいんじゃないか」。この場合、東さんの話は原則論ですね。でも、価値を打ち出していくことも必要ですから、やっぱり田舎の芯の通ったオヤジとして見ると、ホリエモンさんが果たした役割も大きいと思うんです。揺らがなかった。それが価値観を打ち出したということですね。まあ、逃げるやつはどうのこうのとか言ったのは、あまり良くなかったかもしれないですけど。

岩上:僕はひとつの家庭の中にすら、その違いがあってもいいと思います。僕だったら、東京から逃げない。ここに踏みとどまる。僕の仕事は情報を伝えることだから、その情報を伝える前線に張り続ける。それは絶対にやり切る。手伝ってくれる人がいたら、その人たちもリスクを負うかもしれないけど「来てくれ」と思っています。

けれども、僕の娘はこのあいだ子供を産んだばかりで、やっぱり不安だから疎開しようということになった。いまは縁を辿って鹿児島にいます。自分の娘や孫だけがよければいいのかと言われても余計なお世話です。いろんな人がいろんなことを言うかもしれないけど、どう思われてもかまわないし、それぞれがそれぞれで判断して縁のある場所に行けばいい。

それに、疎開だってどこまで続くかどうかわからないんですよ。今度は疎開先でストレスを感じるわけです。娘の旦那さん、つまり僕にとっての義理の息子は東京でサラリーマンをやっているから踏みとどまっていますが。

西條:僕が「広くわかりあうための疎開論」をなぜ書いたかというと、身近な人が身の処し方で困っていたからなんです。「こう考えればいいんだな」というのがあると生きやすくなる。

安全なところに行くべき人が行くということを、責めることは誰もできないはずです。それを「非国民」と言うのは違う。行きたいけど行けないという人がどうしてもいるから、「ずるい」と思ってしまう気持ちもわからないでもない。

でも、みんなすでに震災で傷ついてますから、人間同士が傷つけることは最小にしたい。みんなの力をうまく融合させて、それを震災の復興に向けてのエネルギーとして注いでいきたいですね。

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